S-F マガジン2006年4月号に、「戦闘妖精・雪風」の最新作が載っていると知り、早速購入した。タイトルは「ジャムになった男」。言うまでもなく、あの男の物語だ。
Warning 以降の文章は、小説「戦闘妖精・雪風」、「グッドラック 戦闘妖精・雪風」、「ジャムになった男」、アニメ「戦闘妖精雪風」のネタばれを含んでいます。
その男、アンセル・ロンバートがリン・ジャクスンに宛てた手紙は、あまりにも唐突で無茶苦茶だが、納得できるものだ。宣戦布告という「人間的」な要素を含んでいながらも、段々話はロジックの強さとは何かへ移行し(この段階で既に「感情」という要因は排除されている)、最終的には「言語」の特性と本質の考察、言語以外の手段による「コミュニケーション」の可能性を謳うまでに至る。
神林氏はジャムを「わけのわからないもの」である状態に据え置きつつ、ジャムそのものを描写しようとしている。以前、何か新しい方法があれば雪風の続きを書くといった趣旨のことも述べていたと思う。それはどうやら OVA 版雪風のラストから着想を得たようだ。OVA 版でもロンバートは叛乱を起こしたが、最後にジャムを「理解可能」とする。その差異に、神林氏は感化されたのだろうか。
折角なので小説と OVA のロンバートでは目的が異なることを簡単に述べておく。OVA では上司であるリンネベルグ少将により、「ジャムを知ること」であるといわれる。対して小説では本人により「ジャムを支配すること」であるといわれる。深さという面においては小説の設定が、短期間で伏線を回収するには OVA の設定が、それぞれ適している。支配するには知らねばならない。そういう意味での「深さ」である。
いや、「知る」のではなく、「識る」といったほうがいいのかもしれない。ジャムはまだ人間という枠組みには、明確に認識されていない存在である。しかし、コンピュータには認識されている。特に雪風には。
だからこそロンバートという人物像は冷徹でそれこそ機械のようなものになっているのではあるまいか。人間から機械になることでジャムに近づく男。それがロンバートなのだろう。ジャムとのコミュニケーションそのものを模索することで、ジャムになろうとしている。
異なったアプローチをとるのが深井零だ。機械のような男として描かれ、しかし決してそれだけではない人間臭さを持っていた彼が、更にコミュニケートの重要性に目覚めた後、雪風と共に新たな在り方を会得した時、彼もまたジャムに近づいた。いや、ジャムが彼に近づいた。ロンバートとはある意味で逆のパターンである。
ロンバートはジャムになろうとし、深井はジャムと戦おうとする。すると、深井はジャムを越えようとしているのに、ロンバートはジャムになることで足踏しているのではないかと思わせる。だがロンバートはしっかり語っている。ジャムを支配するのだと。支配は更なる高みへ昇らない限り不可能だ。その方法は千差万別として、少なくともジャムより高位の存在になる必要がある。ロンバートはまず自らをジャムとすることで、少なくとも同じ土俵に立とうとしているのだろう。あとは人間であったことのアドバンテージを生かせばいい。二人は結局同じ方向を見ているのだ。目的も、目標も違うが、結果的に得られるものはとてもよく似ている。
夏には続きが載るらしい。実に楽しみだ。
nXML の色設定をカスタマイズしてみた。
図は初期設定の色。コントラストは低いものの、背景色との兼ね合いで逆に見にくくなっている。あまりどぎつい蛍光色は嫌だったので、最大を CC にし、99 と 66 を組み合わせて明るさを調整した。以下設定。
(custom-set-faces '(nxml-comment-content-face ((t (:foreground "#cccc00")))) ; コメントの <!-- --> '(nxml-comment-delimiter-face ((t (:foreground "#999900")))) ; コメントの内容 '(nxml-delimited-data-face ((t (:foreground "#66cc66")))) ; 属性値・DTD 引数値など '(nxml-delimiter-face ((t (:foreground "#cccccc")))) ; <> や "" '(nxml-element-local-name-face ((t (:foreground "#66cccc")))) ; 要素名 '(nxml-name-face ((t (:foreground "#cc9999")))) ; 属性名など '(nxml-tag-slash-face ((t (:foreground "#cccccc"))))) ; 終了タグのスラッシュ
そうすると、図のような出力を得ることができる。コントラストを低めに抑えないと目に悪いし、かといってデフォルト設定のままだと背景色の関係から判別が難しい。しばらくこれでいこうと思う。
甘ったるくて有名なコカコーラのジョージア「MAX コーヒー」を飲む。
感想。「確かに甘いけど、それほどじゃない」。
味は確かに煉乳にコーヒーを混ぜたそのまま。だからこそありきたりというか、拍子抜けするぐらいに一般的な味わいになっている。個人的には甘さのみならず香りまでも甘ったるいことこの上ないダイドーのミルクセーキの方に魅力を感じる。
MAX コーヒーにまつわる豆知識をひとつ。アニメ「エウレカセブン」の登場人物ホランドが、劇中で飲んでいた缶コーヒー。これが何世代か前の MAX コーヒーなのだ。漫画版でもコーヒーに砂糖を4つもぶち込む男という設定なので、納得できる小道具だといえる。
もう少しチープでも……。まあいいか。
何だかね。あまり感慨わかない。それよりも、「やっと卒業か」という感じ。この学校に来てよかったとも思うし、よくなかったとも思う。得るところが大きかったから「よかった」比率が高いものの、最後の2年はまさに地獄だった。……もっといろんなプログラミング言語を教えてほしかった。いや、自分で学んではいるけれども。
ぶっちゃけた話、早く自前でまとまった金を稼いで好きなものを買いたい。それに、今住んでるところだと趣味の面で非常に不便。東京はそういう意味では素晴らしい。神保町も秋葉原も電車で簡単に行ける。特に神保町はデカい。通販でも滅多にお目にかかれない代物が平然と陳列されていたりする。……ディックの資料本(「ユリイカ」「銀星倶楽部」「SF の本」etc.)が一堂に会していた時なぞ、思わず「うわー!」と言いそうになったぐらいだ。
話を戻す。卒業式のことだ。
はっきり言って、高専における「式典」は、高校のそれに比べれば明らかに形骸化している上に、大学と比べれば馬鹿馬鹿しいまでに律義だ。それも高校 + 短大という中途半端な組み合わせの成せる業。第一、完全にお飾りで学生に顔も知られていないような校長の、仮にも高専の職員であるにも関わらずありきたりすぎて面白みもへったくれもない話なぞ聞きたくもない。だから聞かない。寝てるか本を読んでるか。喋ると迷惑になる上、式の進行を妨害して余計に時間を喰う破目になるので。
実家はネットワークに接続する為に必要な環境が存在していないのがもどかしい。情報が遠のいていく……。
「ヴァーチャル・ライト」(ウィリアム・ギブスン 角川文庫)を読む。
中身はよくある近未来モノの SF。プロットもあまり複雑ではない。登場人物の造詣も特殊ではない。
だがギブスンが書くとこうなるんだよ、といういい見本だと思う。ポンポンと登場するガジェットの量が設定面でも実際面でも「ニューロマンサー」よりは控えめな点がポイントではないだろうか。そのかわり、展開の時系列が前後に激しく動くのは同じ。そうすると、物語そのものがスマートに見えてくる。勿論、複雑性を時系列の(抑制された)混乱で演出している。
2回読んで「なるほど」となる面は相変わらずだ。予めプロットや展開を頭に入れておくことで、細かい部分に目がいきやすくなる。まだ若かった頃、「ニューロマンサー」の展開と背景を理解するのに4回という読み返しを必要としたことを思い出す。初めて読んだ時は「わけわかんね」って感じだった。でもそれが癪に障るので読み返してみると――。
角川のギブスン本はふたつが版元品切れ(「ディファレンス・エンジン」と「あいどる」)らしい。また古本で探すしかないのか。ディックのそれよりは見つけ易いだろうが。
やっとこさ原因不明だったエラーメッセージをやっつけて、文字コード問題も克服し、この Blog の RSS を自動生成してくれるプログラムを書き上げた。
ファイル | makerss |
---|---|
形式 | テキストファイル |
サイズ | 4.3KB |
エンコード | EUC-jp |
ライセンス | GPL2 |
Wide character に関するメッセージが大量に出るが問題はない。なぜ出るのかは目下調査中。
以下、実装時に気づいた点。
まずプロトタイプを書き上げて、実行してみた。すると、以下のようなエラーメッセージが出てきた。
Couldn't open encmap euc-jp.enc: そのようなファイルやディレクトリはありません at /usr/lib/perl5/site_perl/5.8.2/i386-linux-thread-multi/XML/Parser.pm line 187
なんじゃこりゃ? と思わず叫んでしまった。デバッガを動員して調べても、あまりいい結果が得られない。つまるところ、原因が特定できなかった。
そこでメッセージに出てきたファイルのあるディレクトリを覗いてみた。以下ディレクトリツリー。
Parser +- Encodings | +- Japanese_Encodings.msg | +- README | +- big5.enc | +- euc-kr.enc | +- iso-8859-2.enc | +- iso-8859-3.enc | +- iso-8859-4.enc | +- iso-8859-5.enc | +- iso-8859-7.enc | +- iso-8859-8.enc | +- iso-8859-9.enc | +- windows-1250.enc | +- windows-1252.enc | +- x-euc-jp-jisx0221.enc | +- x-euc-jp-unicode.enc | +- x-sjis-cp932.enc | +- x-sjis-jdk117.enc | +- x-sjis-jisx0221.enc | +- x-sjis-unicode.enc +- .. :
結論を述べる。「ProtocolEncoding
で指定するコーディングは、上記のいずれかでなければならない」。
……。どうりでファイルが開けねーと言われるわけだ。デフォルトでは euc-jp が指定されている(ソースコードのエンコードが euc-jp だから?)から、euc-jp.enc
を探しにいってしまうのである。x-euc-jp-unicode.enc
を指定することでこの問題は解決した。
3時間もとられた……。
XML::RSS モジュールは、結構使い勝手がいい。だが、ひとつだけどうしようと頭を抱えてしまったことがある。
xml-stylesheet 処理命令を加えるメソッドが存在していないのだ。
XSLT を使ってゴニョゴニョしたいのに、これではどうにもならない。そこで CPAN 内を検索すると、XML::XSLT というモジュールを見つけた。
しかし、XML::XSLT は XSLT のパーサだった。よって没。
結局見つけ出したのは、XML::DOM の XML::DOM::Document にあるメソッド、createProcessingInstruction(target, data)
だった。
createProcessingInstruction
は、DOM Leve 1 で定義されているメソッド。処理命令を生成する。以下は XML::DOM::Document における仕様。
createProcessingInstruction (target, data)
Creates a ProcessingInstruction node given the specified name and data strings.
Parameters: target The target part of the processing instruction. data The data for the node.
DOMExceptions:
INVALID_CHARACTER_ERR
Raised if the target does not conform to the XML spec.
次の例で説明したほうが手っ取り早いだろう。
use XML::DOM; my $parser = new XML::DOM::Parser; my $doc = $parser->parsefile('test.xml'); my $style = $doc->createProcessingInstruction('xml-stylesheet', '"type="application/xml" href="test.xsl"');
上記のコードが実行されると、$style
には XML::DOM::ProcessingInstruction のインスタンスが入る。そのインスタンスは、XML::DOM::Node と同じく appendChild
や insertBefore
によって DOM ツリーに挿入される。実際にファイルへ書き込まれるのは次の文字列。
<?xml-stylesheet type="application/xml" href="test.xsl"?>
これで、ようやく xml-stylesheet 処理命令を書けるようになった。
ググっても XML::DOM::ProcessingInstruction や、XML::DOM::Document の createProcessingInstruction メソッドを実例つきで解説した日本語の文書が見つからなかったので、簡潔ではあるが載せてみた。
でも完成して幸せ。これがプログラミングの醍醐味だよ……。
1週間ほど前から、mixi(要 mixi アカウント)に入会している。友人に招待してもらったのがきっかけだ。
いやはや、多種多様なコミュニティがあって非常に面白い。ついついあれもこれもと参加すると、100を越えてしまった。ネタが重複しているものもあるのだが、それはそれ。
で、招待してくれたのとは別の友人に言われたのだが、私の参加しているコミュニティは参加者数が比較的少ないものが多いらしい。……確かに、1000人を越えているものは半分もない。殆どが100人単位、一番少ないので2というものまである。
2ちゃんねると違い、言葉使いが基本的に現実世界の丁寧語。そのかわり、相手の批判は一見それとはわからないようなまわりくどさで行われる。一長一短というわけだ。こういう表面上は軟らかい世界もまた、必要とされているからこそ利用者数も増えたのだろう。それが嫌ならもっと殺伐とした世界に行けばいい。いくらでもある。
それに、頭のネジが十本以上ぶっ飛んでるような人間が現れても、簡単に締め出せる機能がある。関わりたくない人間には関わらなくて済む。逆に、自分にとって綺麗なものしか手に入らないので、自分のネジがぶっ飛ぶ危険もある。……それは物理現実にしても同じなのだが。
個人的にはカスタマイズできる項目が少なくて不満も多いシステム。マークアップはテーブルレイアウトだし。不要な要素を userContent.css
で display : none
するにも、id 属性や class 属性がいちいちふられているわけではないので隣接選択子や子選択子、属性選択子をフル活用するしかない。アップロードできる画像形式も JPEG だけ。PNG すらダメだとは……。Ajax 使う必要はないから、もう少し技術力を高めて欲しいと思う。
まだβだから仕方ないというのも一理ある。それよりも、正式版になる日がくるのだろうか。永遠のβ……。どこぞのネトゲじゃあるまいし。
今更ながら、RSS を配信しはじめた。しかも2日ほど前から。ここに明記するのをすっかり忘れていた。
バージョンはとりあえず 1.0。将来的には Atom なんかも配信できたらなー、と思う。いちいち手打ちも面倒なので、これだけは Perl 様に頼ることにした。
Perl でプログラムする際に原本としたのは、神崎氏による RSS 1.0 生成スクリプト。これを改造した。ちなみに神崎氏本人がスクリプト再利用時のライセンスとして GPL を指定しているので、私の改造したコードもそれに準ずる。
最後でかなり汚い対処療法を施している。なのでバージョン番号は1未満。また、XML::RSS というモジュールがあるので、これと DOM に関するモジュールを使いこなせるようになれば、もっとシンプルなプログラムになると思う。しかし今のところこれが私の限界。……底が浅い。
とはいえ問題なく使えているので今のところはこれでよし。まずはプロトタイプをこさえてあとからゴリゴリ書き直せ、とはカーナハン先生の言葉だったと思う。まさにその通り。……これで何もせず放置というのが最悪のパターンなのだが。
また、ついでにといっては何だが、Blog RSS 用 XSLT を書いてみた。XSLT 面白い。RSS が XHTML になってしまう。無論、これも神崎氏の XSLT を参考にした。
そしてつい先程、致命的なミスを見つけた。拡張子が .rdf ではなかったのだ。よって、全てのリンクを修正したので、もしその前に RSS へのリンクを云々した方がいたら変更してください。……ゴメンナサイ。
前からビールは好きで、結構色々飲んでいる。今日はその中でもヱビス、ちょっと贅沢なビール
というコピーで有名な「ヱビスビール」について少し所感を。
このビールの特徴は、何より「味が濃い」の一点に尽きる。コップ一杯飲んだだけでも「あー、飲んだー」という気分を味あわせてくれるのだ。うまいビールは量が問題にならない。それは、一般的な「うまいもの」にも適用できる不文律なのではないかと思う。
ホップの香りの加減や、苦味のバランスもよく調和している。何と言うか、隙がない。まさに「ちょっと贅沢なビール」。値段については……まあ仕方がない。それでも、お金に余裕のあるときは、私は迷わずヱビスを買う。それだけの魅力と価値があるビールだと実感しているからだ。
ただ、問題点もないわけではない。あまりにも厚みのある味なので、おつまみにも気を配らなければならないのだ。味の薄いものでは物足りず、かといって濃ければよいというわけでもない。セレクトが非常に難しいビールだといえる。
私はビールが好きだ。だが、ビールにあらざるビール……つまり、「発泡酒」「その他の雑種3」に分類されるようなアルコール飲料を否定するわけではない。それはそれで、ビールと同系列で語られるべきではないし、卑下されるべきでもない。全ては値段と味とのバランスだ。その上で不味いものは不味いといい、うまいものはうまいという。それすらもわからなくなったときこそ、味覚の終焉であり、人間として生きることの重要な一端を失うときである。
えー、つまるところ、ビールは楽しんで飲むものだということ。
GNU Emacs 用のメジャーモード、nXML を導入してみた。
結構いい感じに動いている。多少癖がある(<p
まで書いた後で C-c C-i すると <p></p> になる)ものの、その他はいたって快適。導入も非常に楽だった。PSGML は色設定が非常に面倒だったのに対し、nXML はデフォルトのままでも使えないことはない。ただ、あまりにもセンスに欠ける配色のような気がするので、おいおいカスタマイズしていく予定。
スキーマ言語として RELAX NG を採用しているのも特色のひとつ。ただ、info を読む限りでは DTD も一応使えるようにはなっているらしい(不確定)。
ただ、一つ問題がある。xml:lang
を文法違反として認識してしまうのだ。スキーマが XHTML 1.0 のものなのだろうか? 目下原因調査中。
それ以外は結構シンプルで使い勝手も悪くない。しばらく使ってみようと思う。
昨日も少し述べたが、ファイナルファンタジーシリーズの回復アイテムを現実世界にて商品化した「ポーション」が発売された。そこでB級飲料愛好家としては是非飲んでおかねばならないと思い、早速セブンイレブンで購入して飲んでみた。
結論。何もかもが中途半端な味。
世間一般では「まずい」だの「後味が最悪」だの散々言われているポーション。だが、私はB級飲料としてポーションを捉えれば、かなり良い品物なのではないかと考えていた。
その認識は、甘かった。
原材料に関する突っ込みは置いておく。問題は味の方だ。
まず一口飲むと、口に広がるのは数々のハーブがぐちゃまぜになった、何ともB級飲料らしからぬ自然の香り。ルートビアとはまた違うそれは、もしかしたら上品なのか? と錯覚するようなものだ。
しかし、それはB級飲料にあるまじき自然さだ。人工的でない。かといってA級飲料の素晴しい香り(新茶の甘い香りだとか、水出しコーヒーの何とも言えない芳香だとか)に及ぼうとして失敗している。つまり、B級にもA級にもなれない、あまりにも中途半端でだらしない味なのだ。
後味もまた問題だ。ここですっ、と消えてくれれば、まだそれでもポーションを好きになれただろう。だが、後からくるのは栄養ドリンクのそれとよく似ている、舌の味蕾がきうっ、と縮まるような最悪の感覚。飲み終わっても気分が爽快になるわけではない。「嫌味」という表現がよく似合う。
私は憤慨するしかなかった。ポーションには、プライドが何もない。A級を目指す気概も、B級であろうとする心意気も、あの味からは微塵も感じられない。久しぶりにまだコカ・コーラを飲んでいるほうがマシだと、本気で思った。
まったくもって、何故こんなカス飲料を世に送り出したのかわからない。サントリーに幻滅してしまった、早春のできごとであった。
友人連中あわせて10人とわいわい行ってきた。車中泊1日含め3泊4日。昨日ようやく帰ってきて、筋肉痛と戦いながらこれを書いているという具合。
スキーは生まれて4回しか滑ったことがないので下手な部類に入る。でも扁平足に限界がくるまで滑れていい気晴しになった。
卒業も正式に決定したことだし。
いやー。単位ギリギリだそうで。何とかすればどうにかなるもんだなぁ。人生って。そこで何とかしなかったら……今ごろやさぐれてたに違いない。
そうそう。今話題のポーション、B級飲料愛好家としては飲まねばならぬと思い、いただいてみた。正直 FF はやったことないので(まともにやったことのある RPG といえば「MOTHER 2」と「ゼルダの伝説」シリーズだけ)背景はどうでもいいとして、色々と言いたいことがある飲料であったのは確か。それについてはまた明日ということで。
正直、憤慨したのだが。
先日の続き。
ここで、私を含め、知人を3タイプに分類する。
いささか強引な分け方ではある。しかし私の周囲に限ってはこの通りなのもまた事実だ。
使えるし何も問題ない。だから乗り換える理由も存在しない。
それが根幹にあるのだろう。以前にも述べた、「めんどくさい」より突っ込んだ理由なのではないだろうか。そもそも必要性がないのだから、面倒という心理すら発生しない。ゆえに Firefox にしろ何にしろ、今使っているものから変更する理由がない。よって Firefox は普及していない。
以上、簡単ではあるが考察。
……。
えー、スキーに行ってきたことやら今話題の「ポーション」を飲んだB級飲料好きとしての所感やらはまた今度。
昨日の続き。
さて、ここまで述べてくる中で、私が意図的に言及するのを避けてきた事柄がある。
機能の話だ。
IE はタブブラウジング機能を持たない。RSS を処理することもできない。
だが、本当に IE は機能が少ないのだろうか?
Firefox 1.0 がリリースされたのは2004年11月8日のことだった。その時、まだ IE は SP1 だった。しかし、その後 IE に SP2 が登場し、ポップアップブロック機能その他が追加され、次第にレンダリング性能以外の機能差はなくなってきている。先日述べたように、情報収集が目的である大多数の UA 使用者は、レンダリングなぞ二の次だ。問題は当人がアプリケーションを常用した時に、それで満足するかどうかなのだ。
友人4人のうち、少なくとも1人は Sleipnir を使用している。彼は Web サイトの構築も行う人間で、Valid で Strict な (X)HTML と CSS の重要性をきちんと認識している人間だ。だが、彼はウェブサーフィンに Sleipnir を使っている。Firefox を使う必要がないからだ。Sleipnir には、彼が欲しいと思っている機能は全て揃っているという。故に、わざわざ Firefox を常用する必要がない。
他の3人は、IE を素のままで使っている。Firefox 便利だよ、と私が薦めても、彼らは機能面についてはこう返す。「いや、別に IE でも問題ないから」。
そこから見えてくるのは、先日述べた、本当の物語の断絶である。私は「Firefox の利便性を薦めて」いるのだが、彼らは「IE / Trident エンジン使用 UA で満足」している。その隔たりがあまりにも大きいのだ。
決定的なのは、カスタマイズするか否かだろう。カスタマイズに必要性を感じる人間(私)は Firefox が好きになり、デフォルト設定でも別にいいやという人間は IE を使い続ける。
私は同じことを GNU Emacs でも経験した。GNU Emacs も Mozilla Firefox も、カスタマイズすればするほどしっくりと手に馴染む「道具」になるという点で同質のソフトウェアだ。私はそんなソフトが大好きだ。好きなようにいじれて、好きな形にすることができる。快感ですらある。
だが、それをよしとしない人間もいる。最初からそこそこ使えればいい、という類の人間だ。カスタマイズすることに喜びではなく、苦痛を感じるタイプ。
……続く。
が、今日から友人連中とスキーに行くため、しばらく書き込めない。もどかしいなぁ。
昨日の続き。
私のような人間は、サイトが W3C の勧告した仕様に準拠しているならば、それを正当に解釈しない「IE のせい」であると結論づける。
対して4人は、サイトがどうであれまともに表示できないなら、それを意図した通りに表示しない「Firefox のせい」であると結論づける。
つまり、結論に至るまでの「物語」とは「基準」のことであり、私が「W3C の勧告」と「(勧告に準拠している面が多い)Firefox のレンダリング」を基準にしているのに対し、4人は「IE のレンダリング」だけを基準としている――。
そう考えるのは早計だ。
そもそも、レンダリングエンジンの違いは事後的なものだ。現時点で使用している UA が違うことから派生する差異なのだから。
それに、一般人にとって「W3C の勧告」など縁がない話である。4人にとっての目的は、インターネットというネットワークを通じて情報を得ることであって、勧告云々はその基盤を支える技術に過ぎない。
では、「物語」は何のことを指しているのだろう。
……続く。
INTERNET WATCH 経由。更にそれを踏まえた Slashdot Japan のタレコミ。
私自身、デフォルト UA として Mozilla Firefox を使っている身であり、IE はその CSS 実装があまりにも酷いことに落胆して Windows Update(今は Microsoft Update)以外の用途で使用しないようになった。そして勿論、地道に周囲の友人たちへ Firefox を用いる利点を説いた。
工業高専ということもあり、また友人たちが比較的コンピュータとよく接するタイプだった。結果、少なくとも2人は Firefox を使うようになった。だが、他の少なくとも4人はほとんどが未だに IE ないし Trident をレンダリングエンジンとして使用する Sleipnir などの使用者である。その他、Opera 派が1人いる。
私はその時、様々なサイトに載っていた「啓蒙」「勧誘」系の戦略はとらないようにしようと心がけた。どこまで成功しているかは定かでないが、友人たちの反応を見る限り、Firefox に対して過剰な反発心は抱いていないようだ。
では、なぜ4人は IE を使い続けているのか? 4人が過去に私へ話してくれた理由は、以下に列挙したものであったと記憶している。
1、2、3については明らかに現状にそぐわないだけでなく、「めんどくさい」シリ-ズとして体系化できることがわかる。今でこそインスト-ルはボタンをクリックするだけ、アップグレ-ドも同様。設定も面倒ならいじる必要はない。面倒ではないことを説明し、実践してみせれば解決できる部類の理由である。
問題は、4並びに5だ。私は、この事実こそ日本で Firefox の普及が遅れている理由であると思う。つまり、「別に IE でも困ってない」から乗り換える必要性がそもそも存在しないのであり、「サイトなんか別に見れればいい」ので標準準拠を売り文句のひとつとしている Firefox なぞ無用の長物なのである。更に言えば Firefox では見れないサイトがあり云々ということになってくる。それは、問題認識の違いが生み出す帰着点の違いを浮き彫りにする。
そもそも IE でしか見れないサイトは、W3C の勧告した仕様に準拠していないマ-クアップその他を行っていたり、JavaScript や CGI を利用した UA 判別により IE 以外を排除していたりする。そこで私は、「IE に限定する必然性の存在しない技術を利用しろ」と言う。
だが、IE を使い続けている4人は、おそらく次のように言うだろう。「Firefox ではデザインも崩れるし読めないサイトもある。IE なら問題ない」と。
これは、断絶だ。そもそも両者の見ている「物語」が違うのだから、いくら私が語ったところで、相手に伝わるはずもない。
では、ここでいう「物語」とは何か。
……続く。
@-moz-document
Gecko が1.8になってから(つまり Firefox 1.5 から)@-moz-document
というアットルールが使用可能になっている。詳細は Firefox まとめサイトの記事 を読んでもらえればいい。
今日は @-moz-document
に bbs2chreader を組み合わせた場合のちょっとした話題。
bbs2chreader を使うと、domain("2ch.net")
を指定しても表示に反映されなくなる。色々と試した結果、bbs2chreader を使って開いたスレは bbs2ch:
とつくから、それを判別できればよいことがわかった。つまり、url-prefix("bbs2ch:")
を指定すればよいのだ。以下コード。
@-moz-document domain("2ch.net"), url-prefix("bbs2ch:") { body { font-family : mona, sans-serif !important; } }
2ch でスレを読む時だけモナーフォントを使うという設定。これが結構重宝する。
卒論地獄から抜け出ることに成功し、ようやくゆっくりできるようになった。身体もガタがきている様子はない。まだ若い。
無理ができるのは若いうちだけだよ、と言っていたのは卒研の指導教官。先生は自らの年齢を踏まえた上で言った。「30過ぎるとね、身体のあちこちにガタがくるんだよ。それは10代後半から20代にかけて、どんな生活をしてきたかによって変わると思う」。
更に先生は続けた。「まず朝ごはんを食べていたかどうか。これね、まだ20代の頃はいいんだよ。30になったら、途端にその影響が出てくる。身体全体に」
口調はうろ覚えだが、大体こんなことを言っていた。……文字にするとありきたりの表現と論調でしかないのに、どうしてか先生が言うと説得力がある。
会社に入ったら、徹夜はしたくないなぁ……。でも無理かもしれない。何しろ小企業のプログラマ。デスマーチになる可能性もある。デスマーチはもうこりごりだ。何しろ一昨年味わったのだから。あの状態が続けば、確実に死ねる。いや、その前に自ら死ぬ。ストレスで。ここだけの話、何回屋上から飛び降りたら楽だろうなと考えたことか。でもまだ死ぬことに抵抗があるぐらいの気力は残っていた。
そんな時には、何か安らげるものを欲するのが人間だ。そこで私はどうしたかといえば、貴重な休日を無理に空けて(本来ならプログラミングに専念すべきなのだろうが)鰻を食べに出かけた。
その店の鰻はうまい。中学時代に住んでいたところにもきちんと炭で焼く鰻屋があったが、まずタレが違う。うまい店のタレは、くどくない。かといって、あっさりしすぎているわけでもない。ぎりぎりで個性を出しながら、鰻本来の味を殺さない程度の味バランス。四枚入りで四千円を越えても、あまり惜しいとは感じなかった。満足したからだ。
今年も、よく考えてみれば同じことをした。同じ店に鰻を食べに出かけた。今回はおまけもつけてみた。冷やを頼んだのだ。その冷やがまたいい酒だった。地酒で、鰻にとてもよく合う。甘口だがスッキリした飲み口だ。その甘さが鰻のタレとはまた違う次元のものだから、競合しないのだろう。
ストレスから過食障害を起こす人間もいるが、私はそれが非常に勿体無いと感じる。私はストレスが溜まると、「美味しい一級品」を食べにいきたくなる。そして、本当に美味いものというのは、量が問題にならない。全ては味であり、どれだけ人間の味覚と胃袋を満足させられるかなのだ。少なすぎる量は逆にストレスを煽る。過食は論外。素晴しい味の食事を適量いただくだけで、気分は晴れやかになる。そうならない食事は、所詮二流……いや、三流でしかない。
安らぐ手段は人それぞれかもしれないが、三大欲求の一つである食欲の満足は、無駄ではない手段の一つだろうと、そう思う。