Mozilla Firefox Nightly (Minefield) を常用 UA にしてみようとして、失敗

日本語入力の挙動も安定してきたし、UI も 2.0 RC 1 相当になったので乗り換えてみようかと。いや 2.0 RC 1 でもいいのだけれど、なんとなく新しいものの方が好きというか、0.x 時代の古きよき雰囲気をもう一度味わいたくなったというか、rv: 1.9a1 になっているそれらを使いたかったというか。因みに現在のバージョンは Gecko/20060930 Minefield/3.0a1 rv:1.9a1。ウチのサイトの表示はあまり得意でないらしく、posision : abusolute で固定した領域のアイテム(特にメニュー)がスクロール時にブレることブレること。もう少し頑張ってほしいとは思うけれど、まだまだリリースは先だからゆっくり直せばいいのかしらん。

使ってみて、バグでも見つけたらフィードバックしようかなぁ。

……と思ったけどやっぱやめ。ウチのサイト表示させようとすると落ちる。落ちる。ローカルだと大丈夫なのに。もう少し見合わせよう。

2006-09-30

Dark Fantasy Collection のディック「人間狩り」はちと高すぎるね

以下収録作品。[]内は原題、() 内は最新既刊収録短編集文庫。

よく見ると、現在入手が比較的容易なものの中に含まれていない短編が11編中5編もある。ある意味で、それは特筆すべきこのなのだろう。ハヤカワがついこの間出した「ペイチェック」は、その全てが何らかの既刊物からの再録ないし再翻訳。新規がないのだ。それでも当時入手が比較的難しい「永久戦争」(新潮文庫)「人間狩り」(ちくま文庫)に収録された作品が読めたのはうれしい限りであったが、それらを両方とも手にしてしまった今、文庫本「ペイチェック」の価値は私の中でかなり低くなってしまった。

因みに、ディックの邦訳を蒐集する上で意外と盲点となるのは、ハヤカワ文庫 NV にたったひとつだけある短編集「地図にない町」ではなかろうか。「マイノリティ・リポート」(ハヤカワ文庫 SF)が刊行された時点で著者近影下にある著作リストから削除されている。因みに「地図にない町」を編んだのは、「人間狩り」を編んだ翻訳者、仁賀克雄氏である。絶版本の再版(しかも文庫→ハードカバーで高めの値段設定)という形式ではあるが、そもそもちくま文庫版のそれが入手困難(神保町を探しても見つからなかったのよ)であるからして、どうせ高値がついているだろうから、ある意味では安い買い物なのかもしれない。

とはいうものの、実物はどうにもハードと呼ぶには頼りない造本。薄いうえにすぐ歪む。カバーも破れやすい。内容はちくま文庫版のもの(集英社版もある)とほぼ同じだが、「ゴールデン・マン」と「植民地」は除外されている。因みに集英社版に収録された短編は、それ以後に発売された短編集へ再録されているので、無理に手に入れることもないだろう。編者のあとがきでも見たいなら話は別だが。

2006-09-28

Mozilla Firefox 2.0 RC 1 Release

Mozilla Firefox 2.0 RC 1 スクリーンショットついに出た。Mozilla Firefox 2.0 RC 1。いわゆるリリース候補版。何もなければこれがそのまま 2.0 正式版になる。だが何かしら不具合が出てきてしまうのがソフトウェアの宿命。これで安定性はかなり落ち着いたとみていい。以前に酷評して改造その2)を行ったタブ回りのスタイルも、かなり改善されている。システムカラーに追従したそれは Windows Classic スタイルだとかなり浮いて見えはするものの、Beta 2 のそれに比べれば雲泥の差。よく頑張ったデザインチーム。よくここまでやった。……でもね、何もわかってないじゃないか。ネイティブスタイルを尊重しようよ。自己主張のしすぎは、こと UI に関しては害になりやすいよ。このスタイルはどうなんだろう。

さんざっぱら酷評され続けたアイコンまわりも、1.5 系列同様ボタンスタイルを取り戻し、ようやくひと段落した気配。新しいアイコンは相変わらずツルツル感あふれる、Beta 2 とはまた一味違ったもの。……以前のアイコンのテーマが出たら入れようかな。個人的には 0.9 ぐらいの時に出たスタイルが好きなんだけれども。Qute のそれは丸すぎて違和感があるし、かといって今のやつもどうかと。

因みにウザくてウザくてたまらない Go ボタンは、about:config から browser.urlbar.hideGobuttontrue にしてお別れすることができます。あんなもの、誰が使うんだ? というのはロケーションバー Enter 派の私だけですかそうですか。

2006-09-27

「マルドゥック・ヴェロシティ」は、3週連続刊行なんだとさ

週である。月ではない。「S-F マガジン 2006年11月号」によれば、2006年の11月7日、14日、21日に冲方丁氏による「マルドゥック・スクランブル」の続編、「マルドゥック・ヴェロシティ」が連続刊行されるとのこと。まったくもってやりすぎである。前回が3ヶ月連続刊行だったのに対し、今度は週で連続性と話題性を提供することにしたようだ。読者としては願ってもないニュースなのだが、圧縮されすぎた日程によって話題の燃焼速度が即座に極大を迎え、排気量が追いつかずにエンストしそうな気もする。……まあ刊行されてみてからどうなるか判断するだけでいいだろう。因みに内容だが、ボイルドとウフコック――引き裂かれた虚無と良心の物語という謳い文句から察すればいいだろう。つまりは過去の寓話を中心に据えるようだ。

「マルドゥック」シリーズといえば、少し前から話題になっている(が結構下火気味の)アニメ版「マルドゥック・スクランブル」の情報もほんの僅かだけ掲載されていた。アニメ化には素直にうれしさを感じるのだが、今はそれより心配の方が上位にきてしまっている。何しろ製作は色々とバランスの危うい印象がある GONZO。良作と駄作の差が激しすぎる――様々な種類のクオリティコントロールに歯止めがない――きらいがある。結果的に良い方向に転ぶか悪い方向に転ぶかは、移ろい易い市場の動向と製作スタッフの状況へ完全に委ねられている。博打……とでもいうのか。安心はできないが、賛否交々ワクワク感がある。あまり口酸っぱく何かを言うことは止めにして、できあがったものを見るしかないか。何かさっきと同じ事を言っている。

対して、バランスという見方に重きを置いていると感じるのが、今何かと話題の京都アニメーションだ。元請として製作に携わった「フルメタル・パニック」2作、「Air」、「涼宮ハルヒの憂鬱」を見てきたが、一貫してクオリティコントロールの上手さというか、巧さを感じる。作画の手を抜けるところでは抜き、込めるところに込めるのも、総じてみれば平均を保つやりかたであるし、脚本に原作者を一枚も二枚も三枚も噛ませて議論することは、見方を変えればその原作者の視点を取り込んで一から何かをでっちあげる手間を省いている。視聴者層がどういったものか、きちんと設定でき、それをした上で「やりたいこと」と「やらなければならないこと」、つまりクリエイタ精神を満足させる部分とサービス精神を発揮しなければならない部分を冷徹に見定めている。つまりよく言う「京アニクオリティ」は、少し高いハードルを設定した(決して高すぎないのがポイント)それに、いかにして合理的かつ無駄のない対処を行うかを徹底的に考えられる能力が高いということだ。元々決して低くない(しかし高すぎない)保有力を、いかに高くみせかけることができるか。そこに「京都アニメーション」という会社で仕事をする、例えばクオリティコントローラたる監督の熟考が求められるのである。

何度もしつこいが、「コストパフォーマンス」という言葉で表現してみてもいい。人海戦術は結局浪費に終わるという「開発」の基本(ブルックスの法則)を理解していると思しき事実を、原画は殆ど社内で、他は適宜外注に出すという体制(無理だとわかったらサブリーダを外からつれてきたりもする――例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」でいうところの音響監督や編集)に見ることもできる。

GONZO には、そういった、いわば「割り切り」ができるのだろうか。コンテンツビジネスとして金を稼がなければならないアニメーション作品を、「作品」「商品」どちらの比率をどれだけ配分して捉えられるか。極端であればあるほど駄作は生まれ易くなる。かといって、バランスが均等になってしまえば凡作になる。駆け引きが難しすぎるといっていい。だから多くは求めることが不可能であるが、それを自覚しているのが京都アニメーションの首脳陣なのだろう。

「マルドゥック・スクランブル」も、「戦闘妖精・雪風」の二の舞にならなければいいが……[1]

そういえば「S-F マガジン 2006年11月号」には「戦闘妖精・雪風」シリーズ第3部、「雪風帰還せず〈前編〉」が掲載されている。2006年11月号はそれだけでも「買い」だ……と宣伝してみたり。最近は「近代日本奇想小説史」に大ハマり。先月までの擬人化シリーズもよかったが、今月のそれも……また凄い。単行本になったら買いまっせ、早川書房さん。

脚註

  1. 購買者層を乖離させてしまったと見れば、バランスの悪さが露呈する。脚本の甘さも指摘すべき点だろう。つまり脚本、キャラクタ、購買者層がそれぞれうまく噛み合っていないのだ。脚本がもっとしっかりしていれば(「複合生命体」の件は最悪のひとことに尽きる)キャラクタが腐女子向け設定になっていたとしても SF 好きな財力のある男たちには一定の支持を得ただろう。

2006-09-26

徳間デュアル文庫

は、結構良作(作家)に恵まれていると思う。神林長平然り、上遠野浩平然り、北野勇作然り。冲方丁も本を出している。今日は神林長平の「ラーゼフォン 時間調律師」を読了。そつなくまとめられた「ラーゼフォン」のアナザーワールド。TERRA の言葉に対する違和感は、そのまま「戦闘妖精・雪風」で言及され、更に著者自身がインタビューで意識的であったことを認めた事実[1]と通底する。回帰する世界を倦んだものとして描写する視点も、適度な距離感で心地よい。ただ残念なのはあまりにも綺麗にまとまりすぎていることと、物語世界に対して少々分量が足りないことか。だが歯切れのよさを選ぶなら、あの分量で申し分ないだろう。

明日は北野勇作著「かめくん」を読む予定。

脚註

  1. 「戦闘妖精・雪風 解析マニュアル」(早川書房編集部編)収録インタビューを参照

2006-09-25

gdi++.dll - 美しさを、得る。

Windows の TrueType フォント描画品質はあまりにも酷いという事実は、既知の事実だ。だからこそ、少しでも Mac OS X のような、X Window System のような「実用に耐えうる」フォント描画システムを望む声は大きかった。Windows Vista に全く期待できないどころか、そのベータ版では相変わらずの低品質を見せ付けられたユーザたちにとって、これは死活問題ともいえた。そういう時代に登場したのが、gdi++.dll である。

gdi++.dll 使用前後の比較図gdi++.dll は、Windows のフォント描画に用いられる関数のいくつかを無理矢理フックして、独自の処理を加えることでそのフォント描画品質を向上させる。スムージングの方法としてはフォントサイズを本来より大きく描画した後に縮小するという方法を採っているようだ。やっていることは単純だが、非常に実用的だといえる。実際に試してみた結果は非常に上々で、よく見るときちんと Window コントロールにもその効果が適用されているのが伺える。

使い方は非常に簡単だ。ただ使うだけなら、何の準備も必要ではない。まずはダウンロードページより最新版を持ってくる。解凍し、任意の場所に配置した後、gdi++.exe に効果を適用させたいアプリケーションの exe ファイルを DnD する。これだけだ。もし DnD するのが面倒なら、gdi++.exe のショートカットを作り、そのプログラムパスの第一引数にアプリケーションへのパスを書いてやればいい。私は既に Firefox へのショートカットに同様のことをしている。

弱点は、何といっても CPU パワーとメモリ空間のいくばくかを持っていかれる点だろう。それは代償として支払うしかない。故に低スペックすぎるマシンでは使いきれない。

素直に Mac OS X か Linux を使えって? ま、その方が実用的なんだけれども。それを言ったら見も蓋もないか……。

2006-09-23

恋におちた悪魔

当初は、まさか続編が出るとは思いもよらず。中を明けてあらびっくり。何というか、前作よりもエンタテインメント性が増えている。そして矛盾も。

あの心変わりはどう考えても唐突だ。そしてムギのあの性格。物語の骨子には馬鹿馬鹿しくも筋が通った綺麗さを持っている(小道具の妙)だけに、それが織り成す後半部の展開とアンの心変わりがより鮮明に表面に現れ、プロット的にはB級ファンタジのそれと変わらない。だがそれすらも、恐らく予定よりは強烈になってしまったのだろうが、意図されたものであるという臭いとなって鼻をつく。そういう意味で西島氏はしたたかだ。マンガとしての出来栄えはそれほど酷くもないので、全体としてみた場合、佳作として評価することができる。「凹村戦争」と比べて確実にコマ割りの中でキャラクタを動かす手腕は上がっているので、「ディエンビエンフー」連載版その他に期待。

今日は他に、「ひぐらしのなく頃に 鬼曝し編 2」と「交響詩篇エウレカセブン5」を購入。特に「ひぐらし」は、ゲーム版シナリオと一貫した創作姿勢と、特に「錯誤」を強調したブレンドが、オチの妙(レヴェル的には「罪滅し編」ぐらい)と相俟ってかなりの良作に仕上がっている。ひとつ言わせてもらうなら、表現上の問題として「錯誤」を「画像」として表現しているのは仕方のないことだろうということ。尺の問題もあるだろうが、例えば「イノセンス」にあるような「画は嘘をついていない」状況を表現しようとはしていない。どちらも三人称的文脈に偽装された一人称というすり替え[1]が行われている点が共通であり、やろうと思えば「ひぐらし」でも「嘘をつかない」作画手法を採ることができただろう。だがその手法は採られなかった。何故か。

「ひぐらし」ではあくまでも主観(一人称)へと、三人称の誤解を与えたまま引き摺り込む必要があるからだ。言い換えれば、「気づかせない」ことが肝要なのである。それに比べて「イノセンス」のそれは、「気づかせる」ために採られた手法だった。後に登場人物の口から直接タネ明かしをするという徹底ぶりである。勿論「ひぐらし」が「気づかせない」ことにも理由がある。それは、本編にて顕著であるが、「気づいた」ときのショックを多大なものとするためだ。「感情」に重きを置く「ひぐらしのなく頃に」という世界にとって、最大限の効果を発揮する。

……実は、まだ「祭囃し編」が終わっていない。いい加減にやらねばならない。実は今日はそれに時間を割いている。なるべく早く、終わらせて。整理したい。

脚註

  1. 「ひぐらし」ではこれが偏執的なまでに徹底されており、一種の極致を生み出している

2006-09-21

最近の Firefox Latest Trunk は IME による入力で落ちるなぁ & bbs2chreader がバージョンアップで 2.0 に対応

19日ナイトリーでのおはなし。つまり常用できないレベル。未だに 2.0 Beta 2 を使用中……って、ベータ版常用するのも駄目ですかそうですか。そもそもアルファ品質に達していないソフトを使うなと。

それから待ちに待った bbs2chreader の 2.0 対応がようやく達せられた(0.2.12)。検索機能が使えなくて困ってた。いやホントに助かった。これでより快適な 2ch ライフをおくれる。しかし最近まともにスレ見てないんだよな。どちらかといえば遅々とした進みの技術系板が多いから。逆に Vip やニュー速は速すぎて追いかけるだけで一苦労。時間がない人間にはつらい。専ブラ使ってない人は……まず無理だろ。あの流れ。

そういえば Mozilla Japan マスコットキャラクタの名称が決まったようで。えっと。あえて言わせてもらえるなら。どうしてこんなに泥臭い名前にしたのかなと。それが狙いなのかしらん。そもそも私は公式なマスコットの存在自体に懐疑的。組織の提供するソフトウェアそのものが既にマスコット化(具体的にはその固有名詞)しているのだから、それを上塗りしてまで新しい何かを付け加えなくてもよさそうなものだ。そう考えるのはお前さんがより技術寄りの立ち位置にいるからだという指摘もごもっとも。だがより「利用者」という曖昧模糊とした層にアピールするためにマスコットを創造するのであれば、今回のようにひとつの案を即決するのではなく、もうすこし Web という媒介の特性を生かして「人気投票」でもやればよかったのではないか。勿論マスコットの図案そのものも。まあ後の祭りですね。こうやって愚痴たれてる私も駄目ですね。でも、文句を言うのは自由。その責任を負うのは代償。きちんと考えてますよ。ええ。

……でも「じゃあお前何かいい案出せよ」といわれても頭を下げるしかないのも事実。畜生。

2006-09-19

620の子供たち - そういえば創元 SF 文庫刊のディック小説を蒐集完了した

何気なしに本棚その他にある蔵書を数えたら620冊になっていた。文庫、単行本、技術書、漫画、雑誌含む。雑誌といっても「ユリイカ」や「S-F マガジン」は書籍扱いみたいだし……。まあいいや。ちょっと買いすぎだろうか。ふと気づくと最低でも月に1万円は書籍代に消えている。下手すると2万を超える。給料あまり高くないのに。

そして昨日も書いたが、ついに「死の迷路」を入手したことで創元 SF 文庫刊のフィリップ・K・ディック著作の蒐集を完了した。あとは新刊が出れば買うだけ。個人的に、小説はモニタ上より書籍の形で読みたい。何より解像度が雲泥の差で、その分読みやすさも変わってくる。何より、光源さえあれば本は読める。電気がなくても大丈夫。将来的に電子的手段が紙媒体より良くなればこの限りではない。肉体的に読みやすいかどうか。それに尽きる(だからもし眼球を介さず脳内へ直接文字情報を送り込めるようになれば、それが最良なのかも)。

ここだけの話、もっと環境(特に労働条件、できれば給料)のいい職場があれば紹介して欲しい。Web デザイン系の職場などは歓迎します。勿論、プログラマとして雇ってもらっても。連絡はメールで。都内の企業の方、お願いします……って、そういう人見てるんだろうか、ここ。

2006-09-18

神保町でお買い物 - ディックと訳者と色々と

収穫は上々。財布はからっけつ。以下購入リスト。

「消える現実」と「解放された SF」だけで¥8400かかった。……「死の迷路」も¥1050だし、衝動買いしてしまった「エヴァンゲリオンの夢」「ラーゼフォン」「人形作家」もそれなりのお値段。「季刊エス」だってタダじゃない。ちょっと使いすぎたが、それでも欲しいものが手に入らなかったので仕方ない。ディックの「ニックとグリマング」と「顔のない博物館」がそれぞれ¥4200ぐらいずつかかるので、断念したのだ。……衝動買いのブツで差し引きゼロになっているが。

相変わらず「シミュラクラ」は単品で存在しない。あったとしても、やはり¥4000円代は超えるだろう。読みたい本なのに、遠い。悔しい。

「解放された SF」に収録されているディックの有名な公演原稿、「人間とアンドロイドと機械[1]」(浅倉久志訳)は以前から読みたかったもの。完全なものは他のどの媒体にも掲載されていないのだ。部分引用はそこら中にあるものの、完訳されているものはここにしかない。古いものだけあって今とはいくつか異なるが邦題がつけられた著書もあるが、それは致し方ない。とはいえ意味は似ているので、問題なくどの本か見当がつく。まあ、タイトルからしていかにディックの本質に近しそうなものか! 今からワクワクする。

……で、衝動買いのひとつに「エヴァンゲリオンの夢」がある。ディックの「虚空の眼」「ヴァリス」「聖なる侵入」「アルベマス」「ティモシー・アーチャーの転生」を訳した人物、大瀧啓裕氏によるエヴァンゲリオン論。神学の知識(データベース)が膨大な人のようで、「ヴァリス」巻末に附された74ページにも渡る解説「Adversaria」はあまりにも有名だろう。とはいえ翻訳そのものはお粗末な部分が多いと山形浩生氏に指摘[2]されてもいる。更に山形氏は「死の迷路」訳者解説内で、「ヴァリス」「聖なる転生」においてはその大瀧氏による翻訳が訳者の博識のせいで狂っていると思うとまで述べている[3]

そういえば、大瀧氏はどういう出自の人なのかよくわからないという実情もある。訳者紹介にも経歴が記されていない。公の場に姿を見せたという話も聞かない。最近の著書・訳書もあるかどうか、私は知らない。……少なくとも、きちんと眉に唾を塗ってから対峙しなければならない。かといって山形氏にしても完全に信用しているわけではない。根拠のない不安。それはパラノイアというものか? やはり原著を入手して自分で確かめるしかないのか。

「エヴァンゲリオンの夢」には色々と得るところもあるが、逆に弱点もそれなりに多いらしい。北村正裕氏によると、大きく5つの疑問点があるとのこと。詳細はリンク先を。また、参照先文書は古いもののようで、より仔細なものは著書「エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き」を参照してくれという。

明日はどうしよう……引き篭って読書か、はたまた秋葉原にでも行くか。あまり散財はできないが、歩けば何か見つかるのが東京のいいところ。何をしよう。

脚註

  1. 「人間・アンドロイド・機械」とも。どちらにせよ、ディックの「シミュラクラ」概念を包括的に説明する、比較的まとまった代物である点に注目されたい。「釈義」はあまりにも散漫としている。
  2. PDF 版「ヴァリス」は山形氏による訳文。ここは大瀧版では変なんだ、という所にアステリスクをつけたりしている。読み比べてみるのも面白い。但し途中の五章までそれ以降の訳はない。また「神」が「紙」になっているなど、どうしてか冒頭から一貫してそうなのだが、校正は不十分。それも念頭において参照するべし。
  3. この部分は創元 SF 文庫版「死の迷路」には存在しない。山形氏が PDF 版を作成するにあたり、加筆したと思しき部分である。文庫版のそれと比べて解説が過激になっており、それだけで一読の価値がある。

2006-09-17

16時間ネタ

つまり寝た。03:00には寝て、起きたのは19:00。時計を確かめても07:00じゃない。我ながらびっくりした。いくら何でも眠りすぎだ。だが目覚めはスッキリ。ということは必要だったのだろう。睡眠が。

今日はだから何もやってない。夕食にコンビーフ卵いためをいただいたくらい。リビーとノザキ、どちらにしようか迷ったが量を考えてノザキにする。ニューコンビーフよりコンビーフ。卵いためにするのは実家にいたときもたまに出た料理で、私の好物でもある。皿に盛ったあと、少しだけ醤油をたらしてまぜるとこれがまたうまい。

夕食後は「七姫物語」(高野和 電撃文庫)の3巻を読む。この前4巻が久々に出たので1巻から読み直しているところ。語感のよい言葉を選んで物語を綴っている印象が非常に強い。時折校正不足の部分もみうけられるものの、細かい点なので全体の流れに影響は出ていない。しかし4巻時点のペースでずっと進むとなると、同じペースであるからこそ失速ということになりかねない。少し加速するべきではないのかとは思う。折角エピソードの取捨選択はうまいのだから、刊行ペースの遅さは別としても、速さに気を配ってほしい。ちなみにイラストレータの塗りが巻を経るにつれて劇的な上達を見せているのも1巻から通しで見るとよくわかる。刊行ペースも手伝って、1巻と4巻では同一人物によるものとは思えないものに。線(つまり原画)だけ見ればあまり変わってはいないのがわかるが、塗りが……。1巻のアレは何だったのかと。

明日は神保町へ遊びに行く予定。早めに寝る。

2006-09-16

あのうたわれるものをもういちど

……ということで古いディスクを引っ張り出してきて「うたわれるもの」(Leaf CD-R 版)を再プレイ。いやー面白かった。今度出る PS2 版も既に予約してあるので、あとはこれ以上延期がないことを祈るだけだ。PS2 そのものもついこの間安くなったので購入を決意。1万6000円ですってよ奥さん。

うたわれるものといえば、今話題になるのはネットラジオ(うたわれるものらじお)とアニメか。ラジオは第一回のみ聴き逃した。……夢のない話をするなら、これ脚本書いた人間は相当無茶苦茶だ。ぱにらじが終わったと思ったらこれか。ネタに事欠かないものだ。アニメはキャストが絶妙なことに加え、脚本そのものも悪くない出来。削れるところは削り、原作に忠実に行く堅実路線。それが難しいといえばそうなるのだが。傑作とはいわないまでも、確実に佳作ではある。個人的には、原作終盤の、ちょっとやっつけ気味な展開に首を捻らざるを得ないのだが、あれはどうなるのだろう。……忠実に再現してしまうのか。それはそれでいいんだけれども。

最近、妙に涼しい。クーラーが要らない。そして夜寝るのが怖い。朝起きられないから。起きることができないから。一度目覚まし4つを完全に無視して惰眠を貪ってしまった時などは、正直悪寒が走った。……どうしよう。

2006-09-14

本棚がもう容量オーバーだ - DVD と田中哲弥の超翻訳

真面目に蔵書の危機。いつしか増えし本たちが本上の隙間をも埋め尽くし、その日を越すのもやっとの状況。……もうひとつ? もうひとつ買えと?

本もそうなのだが、DVD も置き場に困ってきた。先日は「うたわれるもの 章之一」DVD BOX を買ってしまった。今度は「章之二」が来るし、「Black Lagoon」もまだまだ終わりまでが長い。「まじぽか」はあとひとつ。「コヨーテ ラグタイムショー」は多分買わない。1クールのくせに話がぐだぐだになってきているので、リアルタイム視聴のみで切り上げかも。少し期待してたんだがなぁ。SF 色も薄いし、アクションも回を重ねるごとにショボくなっていく。娯楽活劇じゃなくなっている。「ひぐらし」「Blood+」はレンタルで。「Blood+」、DVD で追っかけているのだが、段々飽きてきた。梃子入れ(メインキャラクタの変化、SEX シーンを彷彿とさせる場面、メインキャラクタの死、1年後の語り再開)してもああでは、とてもじゃないが……。娯楽性に乏しく、思想性に矛盾を孕み、物語性に退屈さが滲み出ている。もしかしたら I.G. 近年最大の駄作……? 劇場版「Blood」がいい出来だっただけに、悔やまれる。最終巻まで一応観ますけどね。そこでどうなるか。

今オンエア中で面白いのは「ウィッチブレイド」か。設定だけアメコミオリジナルを借りて、あとは完全独自。なのに親子劇 + 群像劇がうまくマッチしていて非常に物語性が高い。キャラクタ造詣を現代風にしてあるのも、(マーケティング的に?)無理をしていないという意味では妥当な選択か。しかし主人公が子持ちという設定も珍しい。それが最終回に向けたラストスパートのメインプロットに直結するのだから、シナリオは結構練られているといっていいのかもしれない。第一話から観なかったのは残念だ。

本としては、最近古本で「悪魔の国からこっちに丁稚(上下)」(L・スプレイグ・ディ・キャンプ著 田中哲弥訳 電撃文庫)を購入。またこれが無茶苦茶。よくメディアワークスはこの本を出したものだと思う。訳者に田中氏を持ってきた時点で何かの間違い。原書がどうかは知らないが、とにかくこれは爆笑必至のナンセンスファンタジーになっている。「ミッションスクール」(田中哲弥 ハヤカワ文庫JA)作者紹介の部分でタイトルを見て以来、気になっていたのだ。とか何とか言ってたらその後で買った「ライトノベル★めった斬り!」(大森望・三村美衣 太田出版)に載っているではないか。何でも大森氏曰く現代における超訳の模範例とのこと。面白いなら何でもよし。

明日も会社。……はぁ。

2006-09-10

「オープンソースマガジン」の記事――かなり詳しく取り上げられた「クロージャ」

プログラミング言語 Ruby の作者である matz ことまつもとゆきひろ氏が執筆した「オープンソースマガジン 2006年10月号」(Softbank Publishing)の記事、「プログラミング言語の進化を追え」Part 3 でそのタイトルにもなるほど大々的に「クロージャ」とは何でありどう使うかについての詳細な解説が綴られていて、びっくりした。勿論即購入。例によって Scheme を使い、最適化の実際に至るまでうまいこと説明されている。「クロージャってなんだよ」な人には是非お勧めしたい。……ただひとつ気になるのは、氏が自身の生んだ Ruby ではなく、あえて Shceme で断片を記述したこと。何らかの意図があったのだろうか。Ruby もクロージャを実装しているはずだが。

私はクロージャの存在を JavaScript で知った。最初に出会ったのが読み物を探していて見つけた「Dynamic Scripting」というサイト。ただ残念なことに、現在は閉鎖されている。あれだけの文書が消えうせてしまうとは。ScrapBook に保存していないか調べてみたが、見事撃沈。……後に「プログラミング Perl Vol.1」を読み返していてクロージャ(勿論レキシカルクロージャだ)があることを発見した。一度読んだときには完全に読み飛ばしていた部分だ。確かに無名関数は lambda 算法に繋がる。というより、本質。

高専五年の頃は、一番沢山の関数型言語に触れた時期だった。今でもそのうちのかなりに触れている。図書館で「LISP 〈1〉」(Patrick Henry Wiston, Berthold Klaus Paul Horn 培風館)を借りて夢中になった(しかし覚えることが多すぎて非常に困ったうえに、今ではその記憶も薄らいでいる)。演習で Standard ML や Scheme などを学んだ。さすがに Emacs を使っているので、Emacs Lisp もはずせない。xyzzy も使っているから Common Lisp のサブセット(?)というべき xyzzy Lisp もそれなりに書いた。といっても setq / setf したり defun したりするだけのことが多かったのだが。今この Blog を書いている xyzzy の xml-mode には、ちょっとした関数を追加している。C-c e b で Blog 専用 .section を生成、といったもの。

今度は Haskell でも触ってみようかしらん。Perl 6 環境は既に Pugs という環境として Haskell で実現されているみたいだし。

2006-09-08

秋篠宮と紀子の子供がまた生まれたってさ - 天皇家の人間に「さま」をつけるかつけないか

職場で昼食時にこの話題が出た。全然興味ないので適当に発言しておいた。その場で気になったのが、私以外が秋篠宮と紀子のあとに「さま」をつけていたこと。私は高専時代、「法学」の講師がそのことを話題にしてからというもの、意図的に「さま」をつけないようにしている。マスメディアのほとんどが「さま」をつけて報道しているため、半ば無意識的に天皇家の人間の名前には「さま」をつけてしまうのだという話であった。……無論、講師はもっと過激な言い方で「マスメディアによる洗脳」のような趣旨の話をしたのだが。確かにそういった側面もあるやもしれないが、トンデモと紙一重なので私は敢えてぼかした言い方をする。

そもそも「さま(様)」という接尾語(?)はその人に対する尊敬・丁寧の意を表わす語であるとされる。私は天皇家の人間を別段尊敬してもいなければ、丁寧な言い方をするべきであると考えているわけではないので、名前だけをその人間を表現するために用いる。確かに憲法条文以外にも外交カード、内政カードのひとつとして天皇家の存在意義が日本国に在ると言われてはいるが、だからといって尊敬も何もない。ある意味その考え方自体が古臭いものであるともいえる。

大体、子供一人生まれたからといって大げさに騒ぎ立てすぎだ。珍しく男が生まれたという話題性もあるだろうが、ちょっと離れて見てみれば異常としか思えない。はいそうですかよかったね、ぐらいしかかける言葉もない。

そしてその話題に釣られている私も釣られた人間の一人ですかそうですか。

2006-09-06

Mozilla Firefox 2.0 Beta 2 のタブスクロールボタン・タブ一覧ボタンをネイティブに近いものに変更する

Mozilla Firefox 2.0 Beta 2 タブスタイル改造 CSS 適用済スクリーンショット昨日時間がなくて実装できなかったもの。要は toolbarbutton 要素のデフォルトスタイルを復活させているだけ。以下コード。

/**
 * 特殊 toolbarbutton 格納要素
 */
.tabs-alltabs-box,     /* タブ一覧 box */
.scrollbutton-down-box /* スクロールボタン box */
{
  background-image : none !important;
  opacity          : 1    !important;
}

/* ハイライトアニメーション用 */
/* JavaScript を用い、opacity の値を変えることで実現しているようだ */
.tabs-alltabs-box-animate,     /* タブ一覧 box */
.scrollbutton-down-box-animate /* スクロールボタン box */
{
  background-image : none      !important; /* 背景ではなく */
  background-color : Highlight !important; /* ハイライト色で実現 */
}


/**
 * 特殊 toolbarbutton 要素
 */
.tabs-alltabs-button, /* タブ一覧ボタン */
.scrollbutton-up,     /* タブ右スクロールボタン */
.scrollbutton-down    /* タブ左スクロールボタン */
{
  background-image : none                  !important;
  border           : 1px solid transparent !important;
  opacity          : 1.0                   !important;
}

/* マウスホバー */
.tabs-alltabs-button:hover, .tabs-alltabs-button[buttonover="true"],
.scrollbutton-up:hover,     .scrollbutton-up[buttonover="true"],
.scrollbutton-down:hover,   .scrollbutton-down[buttonover="true"]
{
  background-color : -moz-dialog                  !important;
  border-color     : ThreeDHighlight ThreeDShadow
                     ThreeDShadow ThreeDHighlight !important;
}

/* ボタン押下 */
.tabs-alltabs-button:hover:active, .tabs-alltabs-button[open="true"],
.scrollbutton-up:hover:active,     .scrollbutton-up[open="true"],
.scrollbutton-down:hover:active,   .scrollbutton-down[open="true"]
{
  background-color : -moz-dialog                  !important;
  border-color     : ThreeDShadow ThreeDHighlight
                     ThreeDHighlight ThreeDShadow !important;
}

/* タブ一覧アイコン (表示されていない) */
.tabs-alltabs-button > .toolbarbutton-icon
{
  display : none !important; /* 無駄なうえに不要スペースが生まれるので削除 */
}

これでタブまわりのデザインに関してはかなりよくなったと思う。

だが、昨日、そして今日のコードには致命的な欠点がある。Windows Classic 環境でしかテストしていないことだ。更には、Luna テーマを利用した時、Luna のネイティブタブデザインとは異なってしまうのだ。……これはもうどうしようもないのだろうか。助けて偉い人。

また、GTK2 や Apple では確認していない。どう見えるのかは全くの未知数。あーもう。1.5 時代のデザインでいいじゃないか。本当につくづくそう思う。

2006-09-04

Mozilla Firefox 2.0 Beta 2 のタブデザインを1.5 時代のそれと似たものに変更する

Mozilla Firefox 2.0 Beta 2 タブスタイル改造 CSS 適用済スクリーンショット昨日も述べたように、Mozilla Firefox 2.0 Beta 2 のタブデザインが耐えられないものに変更された。そこで、以下の CSS コードを userChrome.css に追加して、強制的に 1.5 のタブデザインとよく似たものに仕立て上げた。但し、1.5 のそれと全く同一ではない。特に .tabs-bottom のスタイル(1.5 でいうところの .tabbrowser-tabs における background-image 指定)は処理を変えてある。

まだタブ一覧表示ボタンは変更していないのが唯一の大残存。そのうちどうにかする。因みに、「タブを閉じるボタン」と「フォーカス時のアウトライン」を除去する処理も後ろの方に入れてある。私にとってはそのどちらも不要なものだ。他の人はどうかわからないが。

/**
 * ブラウザタブ
 */
/* タブ集合 */
.tabbrowser-tabs
{
  background-color : transparent !important;
  background-image : none        !important;
  padding-top      : 5px         !important; /* 好みの問題 */
}

/* タブ要素 */
.tabbrowser-tab
{
  border-top       : 2px solid -moz-use-text-color !important;
  border-right     : 2px solid -moz-use-text-color !important;
  /* .tabs-button の border-top 上書隠し OFF */
  border-bottom    : 1px solid transparent         !important;
  border-left      : 2px solid -moz-use-text-color !important;
  /* タブ浮上効果 OFF */
  margin-top       : 2px                           !important;
  margin-bottom    : 1px                           !important;
  padding          : 2px 4px                       !important;
}

/* 非アクティブタブ要素 */
.tabbrowser-tab:not([selected="true"]) > .tab-image-middle,
.tabbrowser-tab:not([selected="true"]) > .tab-image-middle:hover,
.tabbrowser-tab:not([selected="true"]) > .tab-image-middle:focus
{
  opacity : 1 !important; /* 非常に見づらい透過処理をやめさせる */
}

/* アクティブタブ要素 */
.tabbrowser-tab[selected="true"]
{
  /* .tabs-bottom の border-top 上書隠し ON */
  border-bottom-color : -moz-dialog !important;
  /* タブ浮上効果 ON */
  margin-top          : 0           !important;
}

/* アクティブタブ要素の左側にあるタブ要素(rtl 環境は右) */
.tabbrowser-tab[beforeselected="true"],
.tabbrowser-tab[afterselected="true"][chromedir="rtl"]
{
  /* アクティブタブが覆う効果 */
  border-right-style          : none !important;
  -moz-border-radius-topright : 0    !important;
}

/* アクティブタブ要素の右側にあるタブ要素(rtl 環境は左) */
.tabbrowser-tab[afterselected="true"],
.tabbrowser-tab[beforeselected="true"][chromedir="rtl"]
{
  /* アクティブタブが覆う効果 */
  border-left-style          : none !important;
  -moz-border-radius-topleft : 0    !important;
}

/* タブ集合下方にある文書表示領域との接点 */
.tabs-bottom
{
  background-image : none                      !important;
  border-top       : 1px solid ThreeDHighlight !important;
  border-bottom    : 1px solid threedshadow    !important;
  height           : 1px                       !important;
}

/* スタイル用タブ要素内左右画像領域 */
.tab-image-left, .tab-image-right
{
  display : none !important;
}

/* スタイル用タブ要素内中央画像領域 */
.tab-image-middle
{
  background-image : none !important; /* label と icon が含まれるため別指定 */
}

/* タブ要素表示文字列 */
/*
 * Note:
 * 2.0b2 から outline ではなく border で selected を表現するようになった
 * transparent -> :focus で black とするスタイル指定が行われている
 */
.tabbrowser-tab > .tab-image-middle > .tab-text
{
  border-style  : none !important; /* 邪魔なアウトライン表示をやめさせる */
  outline-style : none !important; /* とりあえず残存 */
}

/* タブを閉じるボタン */
.tabbrowser-tab > .tab-close-button
{
  display : none !important; /* タブの閉じるボタンは不要 */
}

まだ label 要素やサイトアイコンなどの部分(つまり .tab-image-middle の子孫要素)も、私の趣向に合わせていない。改良が必要。

Mozilla Firefox のいいところは、気に入らないところがあったら結構手軽にホイホイ変えてしまえるところ。今回の変更も userChrome.css に書くだけで済んだ。

……しかし、どうして Mozilla Firefox のデザインチームはいきなり背景画像を使う気になったのだろう。しかもデザイン用の要素(.tab-image-left, .tab-image-right, 果ては .tab-image-middle !!)まで XUL ツリーに埋め込んで。やっていることが div 厨と同じレベルにしか見えない。確かに沢山の要素を埋め込めば、それだけデザイン平面数が増えて様々なことができるようにはなる。

XUL はユーザインタフェイス用のマークアップ言語だから、XHTML と理念が違うのはわかっている。でも、どうしても疑問が残る。構造と体裁を分離するために CSS が作られたのであれば、極力体裁用要素の使用を避けるべきではないだろうか? 理想としては体裁用要素を使う必要はない。勿論現実は厳しいもので、どうしても使わなければならない場面というのはいつだって出てくる。それを極力減らし、シンプルなマークアップを保持すれば、当然保守性だって上がる。人間はそんなに複雑なものを理解できるようにはなっていない。いつだってシンプルなのがいいと思っている。その「シンプル」にしても、実現するためにどうしても複雑なことをやらなければならない場面だってある。だがその複雑さは裏を返せば正論である場合がほとんどだ。構造を複雑にするよりも、体裁指定を複雑にする方が、実際のところ現実的ではある。なぜなら、入れ子構造をとる XML ベースの言語はネストが深くなればなるほど識別しにくくなるが、構造そのものは常にフラットなままの CSS は流れを追うことが非常に容易く、きちんと整理して書くことさえできれば人間の頭でも指定をどんどんカスケードさせることができるからだ。入れ子が入ってくると上書きしてよいもの・よくないものの判断がつかなくなりがちになる。……この辺は経験論も多分に含まれているので、鵜呑みにしないように。だが私はそう考えている。

私は今回の XUL に加えられた変更に危機感を覚える。安易に構造を複雑にすれば、後で困るのは複雑にした本人だ。この場合は Mozilla Firefox の開発に携わり、インタフェイスを参照することになるプログラマということになる。……影響範囲があまりにも広すぎはしないか。「シンプル」であろうとした Firefox ではなくなってきているのではないか。

2.0 が正式にリリースされた時、何らかの対策が施されていることを願うばかりだ。今のナイトリーではタブの背景に関して少し改善が加えられたようだが、基本的な状態(背景画像の使用)という点に何ら進歩はない。私の意見に賛同してくれる人はもしかしたら少ないのかもしれないが、それでも声を大にして言わざるを得ない。

それは違うんじゃないか? と。

2006-09-03

Mozilla Firefox 2.0 Beta 2 のタブデザインは個人的には劣悪になってしまったと思う

私がここで言いたいのは、最近そこいらでよく話題にされている配色に関するものだ。えむもじらでも触れられているように、Windows の忌まわしき Luna テーマにはよく適合するが、Classic のそれにはまったくといっていいほど似つかわしくない。しかも背景色が配色設定を無視するような、完全オリジナルになっているため、例え健常者であっても設定を変えている人にとっては憤慨すべき事態になっている。

Opera のそれと比べてみるとよくわかる。Opera はデフォルトでふたつのスキン(Fx でいうところのテーマ)を持っている。「Opera Standard」と「Windows Native」のことだ。そしてスキンに関係なく「外観の配色」という設定項目が存在している。この「外観の配色」設定はかなり考えられていて、勿論 Opera Software が提供する配色設定を適用することもできるし、ウィンドウシステムネイティブの配色を利用することもできる。私は「Windows Native」に「システムカラーの配色を利用」している。他のアプリケーションとも違和感のない配色を得られるのは、ストレスないブラウジングにも繋がると考える。

思うのだが、Firefox も最低限、Opera の方針を見習うべきだ。テーマを二つも用意するのは大変だと考えるなら、ひとつであっても構わない。テーマはテーマ作者が作ることもできる。だが、デフォルトのテーマに関しては、最低限、ウィンドウシステムのネイティブにあわせて設計するべきだ。どうしても配色に対してこだわり(開発者のエゴともいう)を持っているなら、それを押し通すのではなく、Firefox の在り方のひとつでもある「選択肢を提供する」という立場から、Opera のような「外観の配色」設定を用意するべきだ。勿論デフォルトは OS のそれにあわせるべきである。ここは、何も設定を変えないようなエンドユーザ向けの処置になる。インストールして、使ってみて、違和感なく何かができることを追求するべきだ。

更にいえば、主だった統合デスクトップ環境にはきちんとした UI に関するガイドラインが存在する。以下列挙する。ちなみに KDE は抜かしてある。

果たして Firefox のそれは、これらのガイドラインに準拠しているといえるのだろうか? きちんと調べたわけではないので断言はできないが、どうにも疑問が残る。マルチプラットフォームという特質上、どうしても妥協するべき部分は出てくるのだろうが、せめて配色や基本的な部品は問題ないようにして欲しい。私は以前のタブデザインの方が好きだった。ちゃんとウィンドウシステムネイティブになっていたと思うからだ。Windows / GNOME 両者でのそれは、全く問題なかった。今回の変更は、もう何というか……改悪といっても差し支えないレベルだ。何らかの意図があって今回のようなデザインに変更したのならば、何を考えていたのだろうか。……デザイナの傲慢でしかないのであれば、最悪というしかないのだが。そうでないことを願う。

2006-09-02

Mozilla Firefox 2.0 Beta 2 Released

ようやく Mozilla Firefox 2.0 Beta 2 がリリースされた。アイコンが今流行りのツルツルルックになったり、タブまわりの機能強化が行われたりと、見た目にもわかりやすい変更点が目立つ。そして勿論私はこの子をインストールし、常用 UA とするべくいつもの作業を開始した。install.rdf 強制書き換え + キャッシュ削除による拡張機能の強制有効化である。

ただ、どうやら今回の Beta 2 リリース、タブブラウジングを楽しんでいる人間に少々問題を与えることになりそうだ。

Fx 1.5.0.6 と 2.0b2 のタブ関連 XUL ツリー比較の一部というのも、明らかにスタイルが変化した 2.0 Beta 2 のタブ周りは、XUL コードそのものが Beta 1 と異なっている。前掲画像のリンク先は DOM インスペクタで確かめたタブ関連の XUL ツリーのスクリーンショット。ツリーに付随する文字列は class 属性値。左が 1.5.6、右が 2.0 Beta 2。明らかに 2.0 Beta 2 では要素数が増え、class 属性値も異なるものになっている。

この事実がどう関わってくるのか。

私は既に更新がなくなって久しい Tab Mix Plus を用いている。実はこの Tab Mix Plus、他の拡張機能の例に漏れず、Firefox 本体の XUL コードに自らの持つ XUL コードをオーバレイしている。しかし場所が悪い。オーバレイの対象が、タブバー部分の XUL コードなのである。前述のように、Tab Mix Plus は更新が停止しているため、当然最新の XUL コードには追従できていない。どうやら 1.0 / 1.5 系列で用いられていた XUL ツリー構造しか知らない Tab Mix Plus は、本来の XUL コードを自前の XUL コードでオーバレイし、結果的に古い状態(1.5 系列)に戻してしまっているらしいのである。更に悪いことに、そうすると「新しいタブを開く」系の動作に支障がでてしまうようだ。例えば、「ロケーションバーからの入力で新しいタブを開く」場合などである。現に私の環境では動作しなかった。隅々までコードを調べたわけではないため確証はないが。

結果的に、現状 Tab Mix Plus の使用を凍結。しかし使っていた機能は少ないので、あまり影響がないといえばない。タブスクロールも Beta 2 で入ってくれたし。

Tab Mix Plus の類似品としては Tab Mix Lite が有名だ。そちらはまだチェックしていない。

addons.mozilla.org を見ていて発見したのは、superT という拡張。どうやら Tab Mix Plus から作者が欲しかったものだけ抜き出して改良したもののようだ。Alpha 3 までしか対応していないので今回の XUL 変更には追従していないが、もしかしたら今いちばん更新がかかっているタブ関連拡張なのかもしれない。以前使っていた Tabbrowser Preferences も 1.5 系列のみの対応。微妙……。

追記。Tabbrowser Preferences は現在 2.0 系列用の 1.3.0 を準備中とのこと。ただ開発は遅れているらしい。

2006-09-01