名前は「Read」。案だけは形になっているものの、まだ素材も作っていない状況。暇があるときにコツコツ何とかする。
その名の通り、「読む」ことを大前提に据えたデザイン。まず配色は、背景を #333
、前景(テキスト)を #ddd
。「Space」とは真逆のテイスト。いや、今の「Space」、目に眩しいなぁ……と思ったのがそもそものきっかけ。
そういえば今日で11月も終わりか……早いものだ。もう今年最後の月か。
コンピュータを用いた漫画の製作方法が特許として申請されていたという話が、竹熊健太郎氏の Blog にて紹介されていた。いち市民の私見でしかないことを承知で考察したとき、この特許は限りなく「ソフトウェア特許」に近しいのではないかと考えるに至った。
何しろ、非常に大雑把かつ乱暴に要約してしまえば「どういうインタフェイスのソフトウェアを使って、入出力をもつコンピュータシステムを用い漫画を描くか」についての特許なのである。他にも「前述のソフトにより作成された漫画をいかにして閲覧するか」など諸々の方法も記されている[1]。
では、どのようにして特許文献を WWW 上で閲覧するかについて列挙する。
上フレームにある「全項目」を選択するとひとまとめの文書を閲覧できる。また、「文献単位 PDF 表示」で PDF 形式のファイルを閲覧することもできる。
……まあそれにしても使いにくいことこの上ない UI だ。開発者もよほどのデスマーチを乗り切ったか、やる気がなかったかのどちらかに違いない。前者なら同情を、後者なら軽蔑をそれぞれ進呈しよう。
今日は時間がないのでここまで。
「部屋バトン」なるものがまわってきたので回答。ネタ切れというわけでもないのだが、まあ暇つぶし程度に。
一人暮らし。
無い。というか、写真というメディアそのものに全く興味がない。
以前個展に行ったときついでにと買った、okama 氏の作品レプリカ。
ない。プログラミング用にひとつぐらい欲しいかも。
ある。100冊はないと思う。
電子回路を含んでいるもの限定。
本棚。もういっぱいで入れるところがないのが玉に瑕。
6畳。
壁紙は白。床はフローリング。カーテンは緑。
本。文庫・コミック含め既に700冊を超えているとみた。同人誌含めるともっといく。
張りたいけど張ってない。
意図的に目立つものがないような配置にしてある。敢えて言えばベッド?
シンプルであるように見せかける。あくまで「みせかけ」るのがポイント。物が多いから物が少ないという意味でのシンプルさは提供できないため。配置に苦労する。
打ち止め。
首が回らない……。痛い……。しかも起きたの16:00。寝すぎた。
ということで何もやってない。こんなんでいいのか休日。でも眠い。睡眠はとれるときにとっておかないとまずいからなぁ。学生時代のデスマーチで経験済み。
えー、今週というたった4日間で4つの「絶対 FIX せよ指令」が出たバグをどうにかぶっ殺したのはいいんだが、その後でまた追加のわんこそばよろしく虫くんがやってきたわけで。そんなこんなで最短でも来週の半ばまでに滅殺しなければならない可能性大なバグがあと5件。
ちょっと待て。どんどん一件あたりに割り当てられる時間が短くなってるんですが。
しかも優先度はそんなに高くないものの、直すのが面倒なもの多数。今日も当たり前のように残業してひとつ瀕死の状態に持ってきましたよええ。まあつまらなくはないからいいんですけれどもね。バグと向き合ってる時間って、実際そんなに悪くない。キレイに掃除できたときの爽快感はたまらない。
しかし、私は指令を全うできたからいいものの、他チームの中には休日出勤が確定してしまった人も。ご愁傷様です。私は土日を使ってゆっくり休みます。でないと週明けが辛いから。
ついに Vine Linux 4.0 がリリースされた。で、明日は休み。何をするかといわれれば、こいつをインストールするに決まってる。
なのだが、さてさてどうしたものか。スレーブのドライブにぶち込みたいのだが、ブートするには……。
まあ以前調べた方法も加味して、じっくり考える。
今日は、「マルドゥック・ヴェロシティ 3」(冲方丁 ハヤカワ文庫 JA)の発売日でもある。早速読むとしよう。明日休みだし。
それから撮りためた番組も観なければ……。「ねぎま!?」「Black Lagoon」「RED GARDEN」。ただ、いい加減「RED GARDEN」は物語がグダグダで、観るに耐えなくなってきた。作画もやる気なさげ。グダグダ加減は「コヨーテ・ラグタイムショー」より酷い。「コヨーテ」は最初 DVD 買おうかと思ってたのに、途中から展開がお粗末になったため取りやめたという苦い思い出がある。ご都合主義満載の脚本に、キャラクターを立てておきながら全く発展させない不完全燃焼ぶり。そもそも1クールものなのに十二人も敵の、しかも姉妹を持ってくるのが無謀なのだ。せっかくコヨーテの声に大塚氏を持ってきたんだから、もっと渋いオジサマを描いてほしかった。あれじゃただの猪突猛進で頭からっぽなバカにしか見えない。
「Black Lagoon」は偽札編から物語の展開スピードが滅茶苦茶に速くなっている。第一話・二話のようなねっとりとした感覚が全くない。むしろ話を端折っている。現場がイッパイイッパイなのか、作画も効率重視にシフトしているようだ。日本編は更にスピードアップの様相を呈している。原作のあの分量を、恐らく四話以内に収めるつもりだろうと予想できる。そうすると、水曜までの段階で20話目だから、もし22話で日本編が終わったとして、2クール目の残り4話を何に充てるのだろう。ああそういえば公式 Blog で独自展開にするとか書いてあった。それをやるつもりか。……どうなるんだ一体。全然予想できない。
「ねぎま!?」は相変わらずのテンションで観ていて気持ちがいい。意図をネタとしてきちんと認識させ、かつ不快感を与えない絶妙の配置バランス。かといってネタ元がわからなくても全然問題にならない演出は、娯楽の王道といってもいい。そのスパイスとしてネタを導入し、それをベタに消費してくれると更に面白さが引き立つ二重の造り。わかっててもなかなかやれるものじゃない。原作未見なのに DVD 購入を決定している作品である。因みに新房監督の前作である「ぱにぽにだっしゅ!」はまだ DVD 買ってない。欲しいんだけれども……。財布の中身は無限じゃない。
まずは何も言わずにコイツを見てほしい。まったく。
めちゃめちゃ欲しくなっちまったじゃないか。
赤いのもあればと思ったが、それではどこぞの猛毒キノコなので(紫のはもっとだめだ)諦めるしかなさそうだ。しかし……自然の産物らしい。あの形そのものだ。美しいといってもいい。
育てて、みようかなぁ。
あれは2002年度のことだったか。多分最初のきっかけは、学校の演習室にあったパソコンに入っていた Vine Linux が、2.1 から 2.5 にバージョンアップされたことだった。この時、搭載 UA に重大な変化が訪れた。そう。Netscape 4.75 が消滅し、Mozilla 0.9.8 が採用されたのである。……だが、演習室のそれに入っていたのは、Mozilla 1.0 だったような気がする。少なくとも、私が初めて触った Gecko レンダリングエンジンの稚児は、Mozilla 1.0 だったという記憶がある。
Mozilla の存在は色々な意味で衝撃的だった。「なんなんだこいつは」と当時は思ったものだった。もっさりとした動きは私をイライラさせた。IE の方がマシだと本気で思っていたぐらいだ。
だが当時、既に CSS の存在を認知しており、実際に学内イントラネットに自分の Web サイトを持っていた身としては、NC 4.75 に気をとられてばかりもいられないなという気があった。もっともっと CSS について知りたいという欲望があった。だがそこに、まだ HTML への思いは含まれていなかった。今考えれば、無謀で馬鹿だった。整然とした構造があってこその体裁である。構造がボロければ、体裁もボロくなる。
そんな時、出会いは訪れた。「CSSでイケてるデザインサイトリンク集(カスイケリンク集)」の発見、「Tokimeki Network[1]」の衝撃、「CSS Laboratory」の驚愕である。
どういう経路で「カスイケ」を知ったのかは思い出せない。だが、「カスイケ」に掲載された全てのサイトを Mozilla で片っ端から開き(勿論タブを使って……)、貪るように見ていた記憶は鮮烈に残っている。毎日が楽しかった。興奮していた。こんなに凄い世界があるなど、知りもしなかった。私を変えたのは、「カスイケ」の存在、そしてそこに掲載されていた全てのサイトである。特にその中でも多大なる影響を受けたのが、「Tokimeki Network」と「CSS Laboratory」の存在だった。
まずは有名すぎて最早説明の必要すら感じられない、「Tokimeki Network」が私にもたらしたもの。それは「多段組」の技術である。当時は「なーんだ。table
使ってんだろ」という先入観を持ちながらソースを見たものだった。だがその時、私は衝撃を受けた。
どこにも table
がない。それどころか、どうやって段組にしているのかすらわからない。
戦慄、とでもいうのか。とにかく、私は一体どうやってこんな芸当ができるのか、不思議でならなかった。そして CSS ファイルを覗いた時、更なる衝撃が訪れた。「何をやっているのか皆目わからない」状況だったのである。そこには見たことはあっても使ったことなどないような、数々のプロパティが使われていた。私は大急ぎで HTML ファイルを保存した。CSS ファイルも保存した。そして、ローカルで CSS ファイルの中身をこねくりまわして、一体どうやって段組を実現しているのかを、徹底的に調べた。そしてようやく突き止めた。position
によって実現されていることを。
……ぞくぞくした。わかったときは、もう嬉しくて仕方がなかった。こんなやりかたがあるなんて、思ってもみなかった。だから早速模倣したような記憶がある。
次にガツン、ときたのは、「CSS Laboratory」を見た時だった。当時は思ったものだ。「こんなのどうやって作ったんだ」と。ここでは背景画像によるデザイン方法を学んだ。それと、border
の濫用はダサさを生むことも。
その他にも「カスイケリンク集」には参考になるサイトがそれこそ山ほど掲載されていた。片っ端から参考にした。HTML を読み、CSS を読み、模倣して改造して模倣して。そんな日々が続いた。
かくして「CSS コミューン」と呼ばれることもある緩い繋がりとの接触を持ったのも、ある意味必然だったのかもしれない。「outsider reflex」「娘娘飯店しるきぃうぇぶ」「言葉 言葉 言葉」など、代表的なそれは有用な情報を沢山もたらしてくれた。中でも「さとみかん」で補足されているサイトで議論されていた種々交々(font-size
の px
単位に関する議論は今でも記憶に新しい)は、確実に私の技術力(というより思考力?)を高めてくれた。
そしてようやく本題に入る。時は2002年も中盤を過ぎた頃か。ようやく HTML にバージョンが存在し、「Strict」「Valid」「Accessibility」という概念があることを知った。実はこの時の記憶はあまり鮮明ではない。ありとあらゆる情報が一緒くたになって流れ込んでいた時期である。境界も曖昧で、だがしかし決定的なまでの影響力を、その情報は持っていた。HTML 4.01 の勧告仕様[2]を読むようになったのもこの頃だ。だが当時は読んでも「わかんねー」という感じだった。だからより噛み砕いた説明を欲していた。そこにあったのは、断片的な情報の集積たる「カスイケリンク集」「カスイケリンク集2」「さとみかん」にリンクされていたサイトたちや「Web 標準化 Tips」などだった。断片を繋ぎ合わせ、再構築し、時折勧告仕様を読みながら、ようやく下地をつくっていった。同時進行で自分のサイトを更新しながら。
「ごく簡単なHTMLの説明」に出会ったのは随分後になって、既に基本やら応用やらを脳内にぐちゃぐちゃのシチューよろしく溜め込んで、上澄みをすすっていた頃だった。つまりは、知ったときは後の祭りだった、ということだ。「こんなにわかりやすい解説があるなら、もっと早くに読んでおけばよかった。そうすればこんなに苦労することもなかった」。そういう状態になってからだった。
そういう意味では、今まさに (X)HTML / CSS を学ぼうとしている人は運がいい。一次資料として既に完成されたものが手元にあるのだから。私も友人に「HTML についてわかりやすく説明して」といわれたとき、「じゃあこのサイトをざっと読んでごらん。それでわからないところがあったら訊いてね」というだけで済むような時代になった。事実、私は友人に同じ質問をされたとき、前述のようにしたのである。「正確な情報」を得るのに苦労する時代は、もう終わっている。今は「より高度な情報」を得るべき時代になった。
……以上昔話。いや、「W3Cの仕様書の事が全く頭に浮かばなかった」や「まったうなHTMLを書けるやうになった要因は」を読んで、ちょっと記憶がぶわぁっ、と溢れてきたもので。書かずにはいられなかった。
本当に何もしていない。メシ喰って寝てただけ。でこれを書いている。読む本もなくなったし、お金少ないから買うのも躊躇われるし。DVD でも借りてこようかしらん。うん。それがいい。そうしよう。ということでこれから行ってきます。
木曜日という変な位置にあるのもあるのだが、それにも増して嫌なのが仕事絡みの話。来週末までに絶対終えなければ「休日出勤確定だからねー」と上司に言わしめた仕事。やってきたのはつい昨日の夜遅く。しかも三件。以前から抱えてるちょっと優先度の低いやつをあわせて五件。ちょ、ちょっと待ってくださいよ……今週やったのも、あわせて五件くらいっすよ? しかも今日残業してようやく終わったやつですよ? うむむ。どうしたものか。
重要な仕事に限って遅くなってからやってくる。致命的になることも少なくない。もう、最近不合理と不条理の曖昧な境界点をぐーらぐーらと揺れてる感じ。とか何とか言ってるうちに、もう月も半分過ぎてしまっている。時間が経つのが早すぎる。
今日は……もう寝る。何がどうあっても寝るんだ。おやずみなさい。とりあえず「ブラック・ラグーン 6」(広江礼威 小学館)の所感としては、「ぱんつ」のひとことで済ます。……まあ最後に「すぱっつ」も出てきたんだけど。いいよね、スパッツ……と言ってみるテスト[1]。
いやはや。まさかボイルドが×になるとは。思いもよらなんだ。対象も対象だ。無茶苦茶で滑稽とさえいえる。それも、わざとバロットと被らせるようにしているのだろうが……。「マルドゥック・ヴェロシティ 2」(冲方丁 ハヤカワ文庫 JA)を発売日に購入、実はその日のうちに読んでしまった。とりあえずネタバレはやめておく。
しかし「前史」二冊目を読んで改めて認識させられたのは、ボイルドという人間の決定的ともいえる「弱さ」だ。強くあらんとするあまり――よく描写される「天井を歩く」という「逆さま」な状態が強く暗示(明示?)させる――「それ」に自らを置いてしまっている。まだ完全に「逆転」してしまってはいないものの、確実に「焦げ付き」つつあるのは確かだ。そして、それは「依存」とも呼ばれる。かつて自身が浸し続けたアンフェタミンの、かすかで儚く強烈な、圧倒的な快楽と非常に良く似た。
……確かに、中毒症状を少なくとも肉体的には克服したボイルドは、その時点で確実にウフコックの言うような「焦げ付き」を自らの内に保持してしまっている。だがどんな人間でも、「それ」をひとつは持っているはずなのだ。逆に、「焦げ付き」を見て見ぬフリしてしまうことがどれほどの悲劇を生むかは、「マルドゥック・スクランブル」三部作が提示済みだ。問題はそれと向き合い、見つめることができるか否か。この一点において、ボイルドは致命的ともいえるミスを犯してしまっている。そしてそれに気づいていない。気づいたときにはいつも遅すぎる。結果は知る人ぞ知る、である。
暗示もクソもなく、ただ事実を突きつけるだけのシーンがある。「マルドゥック・スクランブル」でもバロットを苦しめた、化け物じみた口径を持つ銃がまさに「生み出されてしまった」シーンである。
《仕留めきれん。大口径の拳銃、貫通性の高い強力弾だ、ウフコック》ボイルドの要請――四四口径のオートマチックが出現。
(中略)
ボイルドは左手の拳銃を握りしめた。《もっとだ。もっと大きくしろ、ウフコック》
銃が変身――さらに大口径に。両手で構えて打った。(中略)目に染みる異臭――銃の故障――強力弾の反動に耐えられず、オートマチックのスライドが戻らなくなる。(後略)
壊れた銃を握り締めて要請。《もっとだ! もっと大きく!》
《無茶だ! 腕を脱臼するぞ!》
《重力で銃を支える! もっと大きくしろ! やつを仕留められる銃を出せ!》左手から腕にかけて拮抗する重力を形成――全方向から左腕を包む。何百キロもある真綿でできたギプスで腕を固定された感覚。
そして銃が変身――ありとあらゆる強力弾の発射を可能にする極厚のリボルバー。
銀色の鋼鉄の内側からモンスターが姿を現す。
五六口径。[1]
軋むような音を立てて撃鉄を引いた。
(中略)
体が浮くような気怠さ――とてつもない絶頂体験を迎えたような呆然とした気分。
「マルドゥック・ヴェロシティ 2」P138-140
もはや更なる「焦げ付き」は必然であり、それ自体が快楽であるボイルドのサディズムであるがゆえのマゾヒズム的欲望は、六年後、爆発のような笑いとして暴力の勧化ともとれるスピード違反の車の中で結実した。報われない話である。
他にもいろいろあることはあるのだが、とりあえずここまで。
(n/100) inch
の直径を意味するので、n = 56
とするとき (56/100) * 25.4mm = 14.224mm
である。デザートイーグルの .50AE 仕様でも 50 口径なので 12.7mm
。バロットが「大砲」と形容したそれにしては、重力という魔物を飼いならす男のモノにしては、少々物足りなさを感じずにはいられない。だがハンドガンの、しかもリボルバーとして持つとするなら、まあ通常の人間ではおそらく使うこともできないだろう。かといってこれが 56mm ではシャレにもならないわけだが……。それでは戦車砲を小さくしたレベルだ。アニメ版を観ていてちょっと引っかかったので、原作をチェックしてみる。以下ざっとしたリスト(単行本5巻時点)。
何というか、まあ芸が細かい。国と性格で銘柄を分けている。肉体労働の得意なインテリであるダッチがアメリカン・スピリットを愛飲してるというのも、その商品の特性[1]も含めて納得できてしまう。ロックはその留まり方に恥じないセレクト。まったくもって小市民的。銘柄は間違っていたが、どちらにせよ日本人らしいセレクトといったところか。セブンスターより幾分「マイルド」といわれる味は、吸ったことがないのでわからずじまいだ。んん……。より曖昧さが増しているセレクトのような気がするぞ。
因みにアニメではロックもレヴィも揃ってアメリカンスピリットを吸っている。商標がらみなのかしらん。それとも監督の好み?
個人的にはアメリカンスピリットのオーガニックかペリックが好み。滅多に吸わないけど。だって料理の味がわからなくなるし。ただ、最近味わうべき味の食事にありついていないので、どうでもいいといってしまえばそれまで。近所の煙草屋にはオーガニックもぺリックも置いてあるから、供給には困らないけれども……。
で、今日は「ネギま!?」の日。早速録画を観る。
うわっ、
もうこの台詞に大爆笑。そこであの有名な AI [2]を持ってくるのかと。
index.html
の明示的指定を削除前々から index.html
を明示的に指定するのはやめたいな、と思っていたのだが、ローカルチェックではいちいちサーバ立ててやってないのでディレクトリリストが表示されてしまう。そのため長い間 index.html
を明示的に指定してきた。だが、この度 JavaScript + DOM でとうとう相対指定のパスに index.html
を付与するスクリプトを組んだので、えいやと置き換えてみることに。Prototype ライブラリ万歳。
さて、メシでも喰ってくるか。
まだ又聞きレベルなので確定情報ではないが、「のけぞる入門講座」と題された森田雄氏の Blog によると、日経デザイン2006年11月号の記事「Web Site Design入門」第5回では、最も単純なコードの例として、以下のようなコードが例示されている
という。
<html> <body> <p> (テキスト本文があるけどこれの引用は省略) </p> </body> </html>
更には前述のコードには、下記のような説明が付与されているという。
どんな種類のHTMLであってもこのデータがHTMLであることをまず明確にするため、HTMLというタグを最初に入れる。
詳細は森田氏の Blog 本文をご覧あれ。
それにしても、本当に前述のコードが本当に記述されており、説明も森田氏が紹介しているようなとんでもないものだとすると、驚きを通り越して当惑すら感じられる。これではまるで、既に前時代の遺物と化したサイト、「とほほの WWW 入門」をそのまま模倣したようではないか。ちなみに「とほほ」の「ホームページ入門」にある「とにかく作ってみよう」と題された文書には、前述の例コードと同じような HTML 文書によく似た文書の例が掲載されている。勿論それは、「よく似た」ものであり、W3C の HTML 4.01 勧告仕様に準ずる場合、HTML 文書と呼称することは許されない。
更に指摘できることもある。少し前に引用した「説明」をもう一度読み返してみてもらいたい。そこには、「HTML 文書」とは書かれていない。単に「HTML」と書いてあるだけである。これでは、「HTML」という言語仕様そのものなのか、「HTML 文書」なのか定かでない。
もっと初歩的で基本的な、用語に関する事項も指摘できる。HTMLというタグ
とは一体何のことか。もし「要素」と同じ意味で用いているのなら、ますます「とほほ」と同じ時代錯誤も甚だしい用語理解度である。HTML 4.01 勧告では、わざわざ Note として Elements are not tags
(要素はタグではない)と述べているというのに。
私は以前、当 Blog にネタとして「矢野りん氏が CSS Nite LP, Disk 1 講演前に提示した宿題」を採り上げた。結果的に揚げ足とりだと思われても仕方ない文章になってしまったが、その際に考え至った結論は今回の情報で更に増強された。
つまり、矢野りんなる人物は「『言葉』と『意味』に対する自覚がきわめて希薄」という結論だ[1]。
いささかがっかりさせられる結論である。情報に「意味」を付与するために創造された言語を解説する者が、肝心の「意味」に無頓着という事実――そして「言葉」を使わねばならない執筆者の立場にある者が、「言葉」を誤用してばかりいるという事実は。
もしかすると、矢野氏は HTML という言語の持つ「意味」すらも調べたことがないのかもしれない。いや、その意味を構成する文字列そのものは知識としてあるのかもしれないが、「理解」していなかったのではないだろうか。だからこそ「意味」を持つ「言葉」(単語・用語 etc.)をデータベースから参照することができず、結果として誤った意味を引き出し、用いてしまったのではないか。
自覚がきわめて希薄という事実は、「仕様」すなわち「定義」をないがしろにしてしまうという過ちを引き起こす。例えば私のようなプログラマにとって、「仕様」を「理解」することは重要なことだ。ほんの少しでも仕様と異なった動作をとるのであれば、そのプログラムは「誤っている」のであり、つまりは「使い物にならない」のである。
ま、明日実際に雑誌を読んでみて、どんなものか判断しますよ。
ということで「マルドゥック・ヴェロシティ 1」(冲方丁 ハヤカワ文庫 JA)を買ってきた。ついでに「我が家のお稲荷さま。」(柴村仁 電撃文庫)と「オープンソースマガジン 2006年12月号」(ソフトバンク・クリエイティブ)も購入。通勤時間と昼休みにでもちまちま読みますよ。
今日は「バイバイ、エンジェル」(笠井潔 創元推理文庫)、「クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人識」(西尾維新 講談社 NOVELS)を読了。どちらも読み応えのある逸品だった。そして似て非なる男がそれぞれ登場する。
片方は自らを傍観者という限定された位置づけでは捉えずに、ただその存在そのものを内なる哲学によって理論武装し、人間というカテゴリから半歩だけはみ出し、だからこそ人間というものをしっかりその視界に捉え続けている者。
もう片方は、自らが傍観者であるということすら戯言というツールによって抽象化し、また意味を剥ぎ取ったうえで、それでもなお自らとは何かという無限の遡及に囚われていることを半分だけ自覚しているが、人間の存在そのものから永久に眼を逸らしたくて仕方がない者。
どちらも意図的にズレているし、著者もそのようにズラそうとしているが、向いている方向は全くの逆方向である。滞留することで拡散を防止し、貪欲に取り込もうとする前者と、滞留しているが故に淀みが溜まり、やがては息をすることすらできなくなる袋小路に自らを追い込んでしまっている後者。いやはや、よくぞまあここまで「究極的」な人物像を想像しえたものだ。
……兎にも角にも、今は新刊を読まねば。
before
/ after
擬似要素サポートしてないんだったこれじゃあ display : block
とネガティブマージンを用いたデザイン平面増強計画が全部パー。ちなみにバナーポップアップのアイコンも after
による実装なのでこれも IE7 では不可。……まったくやってくれる。今時の PC 用グラフィカル UA で before
も after
も使えないのは IE7 (Trident レンダリングエンジン)ぐらいなもんだ。というより、他のヤツらが互いにしのぎを削っているといった方がいい。それぞれ独自に市場を開拓し、根付いている。
最近、会社に行っても「午前中ヒマで、定時近くになると忙しくなる」という超のつく非効率的状況が続いている。というのも、与えられた仕事もすすんで引き受けた仕事も大体定時内に片付けようとするとちょうど良いのだが、そこへ割り込み仕事があまりにも多く入りすぎる。今日など、バグフィックス依頼2件 + 追加でもう1件も入ってきた。追加の1件が優先度高(というより、あと2~3日以内になるべく対応せよとのお達し)なので、そちらをまず見てみる。……目星は10分でつき、特定に30分かかり、確定に40分かかった。修正案その1は5分。それが駄目だと気づいたので修正案2を10分。明日動作確認の予定。間の時間を含めて、1時間30分~2時間かけた(うろ覚え)。
さて、明日は「マルドゥック・ヴェロシティ」一巻発売日だ。帰りがけにでも書店に寄っていこう。
いやー。ラストのアレが PC CD 版より明らかに手強くなっててビビった。……しかしあれでシューティングだったら64版アンドルフだな、と思ってしまったのは私だけか。兎にも角にもクリア。
で、そのセーブデータを用いて二週目突入。嬉しいことは、それまでに入手した全てのアイテムが使用できることに加え、何とエルルゥの薬術が最初から全種類使えること。回数制限は当然あるものの、物語を非常にすすめやすくなった。あとはシナリオスキップ。シミュレーションパートだけに的を絞り、アイテム蒐集ができるというわけ。一応それがやり込み要素。
さて、二週目でどれだけアイテムが埋まるかね。
まあ、基本オブジェクトの名称は同じなのだが、前バージョンは結構汚い部分が多かった[1]ので、DOM Tetris を大々的に書き直し中。ひとまず設定値やエラーメッセージなどは XML 形式にして外部ファイルを参照させるようにするつもり。更に、prototype.js 使用を前提としたコードにすることが今回の大きな目標のひとつでもある。
当面の目標は以前つくったものと同等にすること。以下現段階で実装がほぼ終わっているオブジェクト。
TetrisEvent
(イベントコントロール)TetrisElement
(専用 DOM 要素操作)TetrisCell
(セル要素)TetrisCellField
(セル領域)TetrisGameField
(ゲーム領域)TetrisNextField
(次ブロック表示領域)で、以下は未実装のオブジェクト。
TetrisBlock
(ブロック操作)TetrisJudge
(各種判定)TetrisTime
(時間表示領域)TetrisScore
(スコア表示領域)TetrisError
(エラー操作)TetrisMessage
(メッセージ操作)Tetris
(テトリス本体)先は遠いなぁ……。
ネット上でもちらほら話題になってたようなので、こりゃ座れないかなと思っていたら案外ガラガラで初演で座れた「エコール」を観てきた。
「ドラマチックな演出がなされた記録映画」のような雰囲気。ヴォイスオーヴァなし、男の影ほとんどなしで淡々と物語がすすんでいく。
原題の「Innocense」は、どちらかといえば「無垢」よりも「無知」の方に近い印象を受けた。非常にミステリアスな「楽園」に住まう、生物とダンスを叩き込まれた少女たち。しかしそこには絶望もあれば諦観もある。嫉妬もあれば挫折もある。決して「楽園」ではあっても「ユートピア」ではないのだ。
肉体的な成熟を迎えた少女に対する教員の「態度」変化は、それ自体、少女が女に移行しようとしていることを認めているに他ならない。そうでなければ別れることはできない。何故なら、住む世界が異なるからだ。大人になりかけた少女たちは、外の世界で生きていく。しかし少女のまま時が止まった者は、「楽園」という名の牢獄に囚われなければならない。逆もまたしかり。大人になろうと背伸びをしすぎた代償は、いかなる形ではらわなければならないか明示すらされない。そこに、突き放した世界の広さを感じ取れる。
年が巡り、永遠に繰り返されるサイクル。そのサイクルから自然に抜け出た者は、無事に大人になる。そうでない場合は保障されない。
「無知」で「無垢」な少女たちの姿を観た上に、骨がけっこうしっかりした映画である。同時に、人によって好き嫌いが極端に分かれる映画でもある。少しでも興味があるならば足を運んでみて間違いはないだろう。
漫画喫茶に行って3時間コースでパトレイバー全巻一気読みしたぐらい。あとはなーんにもしていない。
ちなみに、明日は「エコール」を観に行くつもり。こらそこ。白い目で見んな。……いや、季刊エスに載ってたもんで。因みに原題が「Innocence」ってのがまたね(同名邦画があるからって日本向けは名称変更したそうな)。同じ「無垢」とはいえ、押井監督のそれとは思想的背景が違いそうだ。押井さんのそれは根底にあるフェティシズム――自分の求めるものそのものに対する執着――だろうと思う。その執着心は確かに「立喰師列伝」でいかんなく発揮された。しかもこのうえなくストレートに。「イノセンス」はそれが不完全燃焼しちゃった感じだろうか。やりたいことは散々やったみたいだけど、煮詰めすぎちゃって焦げ付い
た印象。
「エコール」はどうなんだろう。まあ観てからじっくり書くさ。
ようやっと IE7 の日本語版がリリースされた。とはいえ既に先行していた英語版を導入済。今回はその上に日本語版を上書きしただけで済んだ。ダウンロード可能なパッケージは自動解凍書庫に過ぎないから、任意のアーカイバで解凍しちゃえば問題なし。多分 MS のことだから形式は cab。
今日は IE7 にも対応済みの、以前紹介したローカルチェック用スタイルシート自動切換スクリプト改良版(もとい、StyleSheets オブジェクト)を曝してみる。無論 Prototype ライブラリ必須。以前よりデータ構造をしっかりさせているので、アルゴリズムがよりまともになった。
名称 | StyleSheets オブジェクト(ローカルチェック用スタイルシート自動切換スクリプト) |
---|---|
バージョン | 3.0 |
ソースコード | stylesheets.js |
必須ライブラリ | Prototype |
ライセンス | GNU GPL 2 |
ほぼ完成形。あとは必要に応じてプロパティを付け加えていくだけ。一応 Prototype によるクラスベースにはしてあるが、個人的にはプロトタイプベースであってこそ JavaScript という言語は魅力的なのだと思っているので、いつものようにプロトタイプベースの考え方をしている。
さて、明日から三連休。とりあえず「うたわれるもの」を一旦終わらせようか。アイテム蒐集のやり込み要素もあることだし、まあ、気長にね(因みに今はクーヤとの対決直前)。
text-align
& text-justify
細々とパッチあて。詳細は Updatelog 参照。まあ折衷案をぶち込んだという感じ。
で、今日気づいたのは「text-align : justify
の仕様が IE6 時代と全く同じ」ということ。つまり text-justify : inter-ideograph
も指定しないと均等割付にならないのだ。これには閉口した。全然対応しきれてないじゃないかと。もう次々にボロが出てきて嫌になる。しかし腐っても IE6 の後継。ムカつくことだが世界的シェアはいずれトップクラスになると予想される。レンダリングの正確性に欠けるこのドラ息子は、IE6 のときの悪夢を呼び起こす。そりゃ少しはまともになってはいるが。
IE6 のバグに悩まされ、バグを利用し、バグにまみれたあの頃を嫌でも思い出す。バッドノウハウとパッチの山を築いた学生時代。もうあの頃のような時間はとれないというのに。
新しいスタイル、考えてもいるし実装もしたいんだが……IE7 はさすがに切り捨てられないだろうし。どうすっかな。