“零”に至るまでの――

今日は「Fate/Zero」(虚淵玄 Type-Moon Books)を読了。見た目は分厚いけれども、中は一段組みだしページあたりの文字密度は低いしで総量的にはたいしたものじゃない。せいぜい文庫本一冊程度。とはいえ料理する人間が違うとこうまで異なるのかと、いい意味で楽しみながら読ませてもらった。

所謂「第四次聖杯戦争」のおはなしなのは既知の通り。ネタバレはなしで。

ひとつ気になったのは、「Fate/stay night」が一人称の多視点であるのに対し、「Zero」は三人称の多視点であるという事実だ。「stay night」が「月姫」と同様、それなりの多視点から物語世界を語ろうとしていることを前提にしているとはいえ、しかし衛宮(主人公)からの目線がかなりの比率で主立っているのに対し、「Zero」はより多視点であることに自覚的であり、かつ主観をある程度排除してしまえる表現形式で情報を伝達するように構成されている。

共通点から考えてみる。それは、どちらも物語の性質上「多視点」にならざるをえなかったという点だ。聖杯戦争という群像劇を描写するには、どうしても「他の目線」による場面転換が必要不可欠だ。単一のままではある程度背景を説明することなどできないし、逆に読者へ世界が狭いものだという誤認識を与えてしまう[1]

そこで箸休めとしての別離が必要となる。他の視点から覗いた「聖杯戦争」はどう見えるのだろうか? これだけで、より複雑な背景をくどすぎる説明なしに読者へ提供することができる。加えて、「空の境界」で既に用いられ、「月姫」「Decoration Disorder Disconnection」でも十八番のように使用され続けているあるトリックを構築する必要条件でもある。

時間がないので次回につづく。

脚註

  1. 本当は広いのに、わざと狭いものだという認識を与えるのが所謂「セカイ系」と呼ばれる類の物語構造であると考えている。

2007-01-29

談笑の日

今日は友人2人と色々くっちゃべってきた。とりあえず秋葉原で落ち合って、適当に買い物してから1人のアパートで Wii でゲーム。初めてコントローラ(リモコン)を外に持ち出した。

買っておいてもらった「少年フェイト」と「フェイト/ゼロ」を受けとるのも大事な目的のひとつだった。いや、虚淵・奈須のコラボなんて夢のようじゃありませんか。因みに「少年フェイト」は3日で店頭から姿を消したとか。……即断でお願いしておいてよかった。

色々と他愛もないことを話したが、そういう時間ってなかなかとれないのが実情。会社には友人と呼べる人もいないし。というか……言い方は悪いけれども、希薄なのだ。滲み出てくる「なにか」が足りない。それは何であってもぶっちゃけた話構わないのだが。

そういえばこの前の昼食時、古本について――といっても私の場合は P.K.ディックの絶版本のことなのだが――ちょっと熱が入って語りモードに入ってしまったのだが、それがひと段落したあとの聞き手がひとこと。

「古本が好きなんだね」

この言葉には、正直カチンときた。侮辱されたといってもいい。個人的に、その返答は最低最悪の部類に入るものだと考える。何しろその言葉の根底には「キミは」という前提が存在する事を強調している。つまり、「私にとっては」その逆なのだと理解されても仕方ないニュアンスを含んでしまっているのである。

「なるほどね。じゃあ……」と、会話(理解)を繋げることすら怠っている。確かに会話を無理矢理繋げる必要は、当然ながら存在しない。自分の興味がないことを延々と聴かされるのは苦痛でしかないからだ。だが、それならそれでもっと「明示的な」手段で表現して欲しい。そして、それには必ず理由を付与するべきなのだ。理由なき嫌悪は軽蔑すべきものでしかない。

「私はこれに興味はない」という明示は、実はそれだけでコミュニケーションとして成立することになると思っている。そこには他者との差異を自覚していることが含有されている。他者と違っておおいに結構。だからこそその先には会話が続くはずなのである。「どうして?」が返ってくるのは明白なのだから。そして対話は続けられる。理解が行われる。

……えー、まとまりないけどもう眠いのでこのくらいで。

2007-01-28

図書館ないけど本はある

今日も今日とて本屋に寄る日々。やっぱ出会いって大事だと思うのだ。何気なく日課のように寄ってれば、目についた気になる本も出てくる。今日は以下の本を購入。

「S-F マガジン」は恒例の英米 SF 受賞作特集。まだ全部読んでない。通勤時間と昼休みにでもちまちまと読む。

「ビブリオ」は完全に衝動買い。何というか、「ズビシッ」とキたというか。そして見事に大当たり一等賞。私の直感も捨てたもんじゃないらしい。つまりは面白いのである。この著者は要チェック、と。要点だけ話せば「魔法が存在する混沌とした世界における図書館長と司書のおはなし」。SF とちょっとしたお色気まで入っているといういい感じっぷり。中身は復刊のためかなり古い作品(と絵柄)ではあるものの、特に気にもならない(表紙は書き下ろしっぽいが)。当たり前のように傍若無人な「ネコ」たちの存在が実はお気に入りだったりする。あーもちろん館長がもう狙ったかのようにアレゲなのには何もツッコまないので。美学美学。多分「楽園通信社綺談 」も買う。

「ブンダバー!」はぶっちゃけた話、見かけた瞬間にびっくりした。何しろ見たことがあった絵柄。何を隠そう、去年の夏コミ(C70)で入手した「C'mon Everybody Special 3」という合同誌の寄稿者の一人だったのである。エロとネタと二次創作がゆるーく入った合同誌の中に、何故か一人だけオリジナル。更には軍隊もの。もっと言えばスラップスティックで第二次世界大戦時代の平行世界(しかもエロなしガチ戦闘)。嫌でも記憶に残りますがな。ギャグはぎこちないし展開はテンポが微妙なのだけれども、妙に面白かったのでしっかり最後まで読んじゃったのである。その作者が単行本を出したと。これはもう買いだろと。結論としては「将来に期待」なのだが、まあ私が偉そうに言えるようなことじゃないか。同人誌の方には持ち込みしてるって話あったから、その流れなのだろう。雑誌連載されたら読もうかしらん。

さて明日でようやく一週間の仕事が終わりだ。さっさと案件片付けたいんだが、調整がちょっと難航中……。今日は久しぶりに密度ある忙しさ(対人的に、という意味で)だったから、明日もそうなるのかもしれない。技術的な密度は望むべくもなく。対人スキルが上がるようで、メールをガリガリ書いてるだけだからなー。そういう意味ではこうやって Blog 書いてるのとあまり変わらない。

2007-01-25

最近朝飯を再びつくるようになった

とはいっても炊いた飯を冷凍しておいて、朝は解凍するだけ。味噌汁はインスタント。あと卵料理と漬物、おかず、飲物。いい加減高い金払ってまずい朝飯を会社の食堂で喰うのが馬鹿らしくなったため。それに、食堂での時間を考えた通勤パターンと、家での時間を考えたそれでは、実のところあまり起床時間に差異がないこともわかったため。

まあ気まぐれなんで、もしかしたら途中でやめちゃうかも。そうならないようにできるだけ楽して飯をつくれるようにしておくんだけれども。意外とごはんを冷凍しておくと保存がきくことは知られていないようだ。一食分を小分けにして保存しておけば便利だ。炊飯回数を減らせるし。5.5合炊きで、大体6~7食分の白米。上出来だ。

朝飯はきちんと食わないと昼までに死にそうになる体質。まあ何にせよメシとらないと人間駄目だよってことで。

2007-01-24

バグを指摘されたプログラマはまず全てを疑う

ネタとしてはかなり古いが、バグを指摘されたプログラマの返答ベスト20を見ていて「ウチの現場では該当するものが数個しかないなぁ」と思った。と同時に、テスタとプログラマが直接メールや電話でやりとりすることがあまりないと実感した。

私が該当したのは以下に列挙したものだ(あくまでも「考えた」ことであって、実際にそれをテスタに言ったかどうかは別の話)。

上記中、一番怖いのが「問題を再現できない」ことだ。またいつどのタイミングで発生するかもわからない。クソ忙しいときに「再現した」と言われ、しかもそれが100%の再現率を誇ったとしたら、悪夢でしかない。早めに潰したいのに原因がわからないのはイライラする。大抵、問題が再現できない場合は、そのバグが発現したという当事者(テスタ)の方でも起きなかったりする。そうすると、上司があれこれと議論してから保護観察処分が下されて、とりあえず脇に追いやられる(記録は残り続ける)。

テスタにも、プログラマと同じく激しい「質」の上下幅があると思う。ここでいう「質」とは「丁寧さ」、「気の利かせ具合」を指す。

馬鹿丁寧にありとあらゆる情報を乗っけたバグ報告と、ただ「こうでした」と現象が起きる手順だけを書いたバグ報告は、ある意味で同じようなものである。前者はノイズが多すぎ、後者は情報そのものがなさすぎる。だが、まだ前者の方がマシだ。何故なら、前者は探せば情報が見つかるのに対し、後者はそもそも存在しないからである。多いものは少なくすることができるが、少ないものを多くすることはできない――そういう類の話になってくる。

我々プログラマは、「これは必要だから必ずつけてくれ」といつも要求しているログ情報や、必要十分なマシン情報・バージョン情報、箇条書きで読みやすくまとめられた発生手順などが掲載されたバグ報告が欲しい。

だが、それらを全て満たした「まいりました」と頭を下げたくなるような必要十分に情報が載っているバグ報告を上げてくる人ばかりかといえば、そうでもない。しかもここ最近、現場では前述の「情報がなさすぎる」バグ報告が発生し始めていた。しかも目に付く程度に多く。

二番目に酷かったのは、再現手順だけ書いてあるのみで、最低限必須だと口を酸っぱくして言っている「ログ」が添付されていなかったバグ報告が来たことだった。メモリの状況を知りたいのにダンプがないのと同じである。すぐに「ログ吐かせて添付してください」と連絡し、ようやく添付されてきたのであるが、この酷さは上司が「これはありえない」と呆然とするほどのレベルだった。そもそも、バグ報告を作るテスタ側で、一度は査読が行われるはずである。それにも引っかからなかったというのか。ちょっと残念だった。

さて、先程私は「二番目に酷かったのは」と言った。

一番酷かったことがある。そういう話だ。そしてそれは、そもそも情報があるだとかないだとかというレベルの問題ではなかった。テスタ側の体制そのものに問題があるレベルだった。

「これはバグとして出るはずだからテスト対象に含めないでくれ」という、いわゆる「申し送り」を完全に無視されたことだ。

悲しかった。悔しかった。何せ私がそのリストを延々と書いたのだから。どう頑張っても次のバージョンに入れられないものがあり、その次のバージョンで完全になるはずだったのだ。

だから私は申し送りのリストを書いた。決められた、正規の手順に従って。

だがそれを完全に無視された。そして、バグ報告が生まれた。

バグ報告には必ず原因と対策を付記して返却しなければならないというルールがある。それは結構な労働になる。何故なら、テスタがプログラミングを全く知らない人間であると仮定したうえで、「誰が読んでもわかるように」書かなければならないというルールもあるからだ。その為専門用語は全く使えない。概念そのものを表す単語が使えないのだ。よって、概念を言葉で表現する必要に迫られる。俗に言う「平易なことばで」というヤツだが、それを考え、書くだけで当然ながら時間をとられる。貴重な労働時間を削られるのだ。だから、なるべくバグ報告を出さないようにする必要がある。バグが多いと本来やらねばならない仕事まで中断してしまう。

費用対効果を考えて、申し送りは行われる。先程の場合、説明するのが厄介な部位だったため、バグ報告に記載を行うよりも、申し送りを書いた方が時間を節約できると考えた(必ず次のバージョンで入ってくれる修正だったのだ)。だから申し送りを書いた。

結果は前述の通りである。私は二重に無駄な時間を費やしてしまったことになる。申し送りを書いた時間と、バグ報告に記載を行った時間。全てが無意味だった。

上司と相談して、「書いてるのに見てくれないなら意味がないじゃないか」的な苦情を、会議で伝えてもらうことにしたのだが、果たしてそれでよくなるかどうかは甚だ疑問だ。

……陰鬱な話が続いたので、逆に「ちょっとした心遣い」が何もかもを楽にした、良いバグ報告の例を載せて締めたいと思う。

それは、「以前起きた似たようなバグのバグ報告管理番号を付記していた」バグ報告だ。

こいつは、プログラマにとってとんでもなく嬉しい類の情報なのである。少なくとも私にとってはだ。以前にも少し話をしたが、同時にたくさんのプロジェクトが動いている職場である。ブランチが切られたのが遥か昔で、安定はしているものの中身が古く、ブランチとして切られる前からあったバグが発見されない限り残り続けるのは道理である。

次のパターンを考えてみよう。大本のブランチSから、ある時AとBというブランチが同時に派生した。その後、Aは順調に育ち、開発終了目前までやってきた。

ところが、Bでバグ報告が出された。それは、ブランチSから引きずる類のものだった。バグは修正され、バグ報告には原因と対策が追記され、クローズとなった。

さて、ここで当然ながらAにも同じバグが潜んでいるのは明白である。だがプログラマは他にも様々なブランチを抱えている。てんてこまいだ。

そこに、Aでバグ報告が出されたとする。テスタは思った。見てみればそれはBで出たヤツと同じではないかと。

……この場合、もしバグ報告に管理番号があったなら、バグ報告を受け取ったプログラマは原因追及から修正方法の解明までを全部ショートカットできる。あとは同様の修正をAに加え、ほぼコピペのバグ報告記載を行うだけだ。修正も早く入り、労力も少なく済む。テスタ側も、再テストを早めに行える。どちらもハッピーになれる。

えー、色々書いてきたんだが、まあ要するに「テスタもプログラマも『ちょっとした工夫』」が大事ってことで。

2007-01-23

特に何もありません

よし。PS2 版も出ることだし、Fate でもやりつつ適度な短い睡眠をとるかね。まだ1週目だからなぁ……まあいいや。

2007-01-22

トラックボールが好きになりました - 秋葉原でお買い物

今日は秋葉原へお出かけ。目的は Kensington Expert Mouse (Model 64325) を買うこと。ついでに飲み物のストックとブランク DVD-R。

いやはや。トラックボールは前から欲しかった。マウスでも問題はなかったのだが、トラックボールのコロコロ感は一度使うと病み付きになってしまうのだ。だがあまり需要がないらしく、バリエーションも限られている。今回選んだ Kensington の製品は、手堅くまとまった良品として評判がよかったので購入することにした。実機を実際に触れる店はない(今回購入したクレバリーでも、User's Side でもパッケージのまま)のだが、パッケージの上からイメージで操作すると、やはり他の流線的なデザインのそれよりか手になじむという直感があった。帰宅してから操作してみるとそれは正解だった。

狭いパソコンラックのキーデスク上に HHK と共に鎮座させると、同系の黒バージョンを選択したせいもあってか非常に見栄えもよければ操作性も抜群だ。マウスだと右手を直線的にキーボード - マウス間で移動させても、マウスの最後の停止位置が異なるのは当たり前であるためちょっとまごつく。対してトラックボールはきちんと配置してやれば脇を見ることなくシームレスな移動ができる。本来はキーボードから手なぞ離したくはないのだが、ブラウジングする時などは仕方なく移動させている。それがやりやすくなっただけありがたい。因みに左側には缶ジュースを1本置くためのスペースまで確保できている。完璧だ。

あとはメモリか……。さすがに 512MB では足りなくなってきた。金ができたら物色しよう。ああ、でもその前にマザーから何から全部オーバーホールした方がいいかも。CPU は……ううむ。64bit にするには時期尚早か。そもそも OS のドライバ問題もあるし、コストパフォーマンスがどうなるかで決めないと。そりゃ、性能・コストがいい塩梅なら 64bit にして 32bit エミュレーションさせればいいんだが。

2007-01-21

神保町でお買い物

今日は神保町へお出かけ。主な目的は「銀星倶楽部 1989年12号 特集 フィリップ・K・ディック」を入手すること。意外と SF 関連の店には置いてないので、サブカルを前面に出してる類の古書店を巡ることに。……まあしょうがないか。雑誌そのものがそもそもサブカル関連の代物だし。

結果は惨憺たるものだった。……11号と13号はあったんだよ。でも12号だけがない。どこにもない。ガッカリした。今度はもっとサブカルを扱ってる店をたくさんピックアップしていこう。何が何でも手に入れてやる。

で、そのついでといっては何だが欲しかったディック本を購入。

「ウォー・ゲーム」は、最近筑間書房から同題の短編集が出た(しかも復刊で)のでわざわざ購入することもなかったのだが、ついつい購入。ソノラマ版と筑間版では収録作品が一部違う上に、筑間版とその他の短編集に収録されている作品をあわせれば、実はソノラマ版は買う必要がない。更にはそのソノラマ版でさえ北宋社から刊行された「顔のない博物館」から一部削除のうえ一部追加を加えたもの。

「ニックとグリマング」は図書館で借りて読んだことがあったものの、やはり手元においておきたいので。グリマングは「銀河の壷直し」で登場する。よくディックはスターシステムを使っているといわれる理由がここにある。造語(「コナプト」は有名だろう)も同じく。

最後の一冊は、そういえば今 Lisp 関連の専門書籍が家にないなということで衝動買い。本当はオライリーの「詳説 正規表現」を買うつもり満々だったのに、どうしてこんなことに。まあいいか。Common Lisp はやっといて損はないし。Scheme も Emacs Lisp も基本は同じなんだから、応用すればいいだけの話。CLOS[1] はまだいじったことないからな……。

明日は秋葉原にでも行こうかしらん。DVD-R がなくなったことだし。ついでに色々と物色しよう。今一番欲しいのはトラックボール。寝転びながら云々タイプのアレもそうだが、やはり本命は Kensington Expert Mouse (Model 64325)。これがまたよさそうなんだわ。

B級飲料のストックもなくなったので買いにいかねば。とりあえず Dad's のルートビアが飲みたい。A & R のものよりピリリとした刺激があって大好き。勿論 A & R も好きだけれども。沖縄県人はいいな。だってアレだ。A & R の直営店があって、ジョッキでルートビア飲めるのだから。至高のひとときなんだろうな。うらやましい。

脚註

  1. Common Lisp でオブジェクト指向プログラミングを可能にする仕様。

2007-01-20

Windows エクスプローラのフォルダバーを表示させる理由が全然理解できないを訊いた - その2:そこに仕事の違いがあった

先日の話の続き。Piro さんに以下のように諭されて、ちょっと赤面。

それは単に、あなたが自分で思っている程記憶力がよろしくなくない、天才には平民の悩みなんてものは理解できるはずが無いってことだと思いますよ。そういうことを、自分より頭の回転が早い人としばらく一緒にいてよく分かりました。彼らは、聖徳太子みたいにマルチスレッドでものすごくたくさんのタスクを同時にこなしていながら「このくらいできて当り前だろ、なんでできないの?」って本気で言います。

鶏ほどの記憶力もないバカ

何だか、自分がすごく青臭いことを言った気がした。

で、「マルチスレッドで云々」の文言を見てちょっと考えごと。そういえばどうして私の上司(仮にB氏とする)は「表示させる」ことを選択しているのだろう。記憶力がすごくある人で、Windows エクスプローラのフォルダバー(以後「バー」)を表示しようがしまいが利欠点が変わらないと思われるのに。何の理由もなしに表示させ続けるような人でないのは確かだ。

昼飯時、ちょっと雑談のネタとしてふってみた。

結論として、B氏は「いちいちショートカットなんかつくってられない」からであることがわかった。実はこの理由、なるほど言い得て妙というか、そこに私とB氏に関して仕事の違いが見出せてとても参考になった。

では、何故B氏は「いちいちショートカットなんかつくってられない」のか。それは、氏が私だけの上司ではないことを示す好例である。

そもそもB氏の仕事とは何か。大量に存在する同時進行(マルチタスク処理)必須の仕事のなかのひとつに、その答えがあった。

「担当者へのバグ振り分け」である。大量に報告されるバグは、一旦中継点としてB氏に情報が渡ってくる。B氏はバグがどういう類のものかアタリをつけ、関連する機能の担当者(部下)に振り分ける(実装担当はかなり専門化されている)。

その際、問題となるのが「どのブランチのソースで報告されたか」である。大量の同時進行プロジェクトの中では、当然ながらソースはバージョン管理システムによって秩序を保たれている。いくつも分岐した安定ブランチが同時に開発されている中、報告されたバージョン & ブランチのソースを瞬時に選択するにはどうすればよいか?

そこでB氏はバーを使うことに決めた。常日頃からローカルに保存してあるソースを新しくしておき、バグ報告が来た時点で即座に反応できるようにしておく。そうすると、ブランチをバーを経由して即選択できる。

更には、各ブランチの開発サイクルがかなり短いため、頻繁に新しいブランチが誕生する(ブランチのブランチ etc.)。そうするともうショートカット(ないしソフトリンク)なぞ作っている暇はない。それよりは、直感的に選択できるバーの方が確かに有利である。ディレクトリを作れば表示されるのだから。

この話を聞けたとき、「なるほど」と思わず相槌をうった。自分が好むソフトをおいそれと入れられないという限定条件を課せられた中、あるものを使い極力手間を減らす。私はそう頻繁に別の機種のディレクトリを参照したりはしないので、本当に仕事の違いが生んだ理由の差異だということになる。

ここでもうひとつ引用。先程と同じく Piro さん曰く:

敢えて問題提起するとすれば、このような使い方をする人間がいるということを想定しない、自分の使い方以外の使い方を想定しないとしたら、それは、アプリケーションなりWebサイトなりのUIを設計する上で問題のある姿勢と言うことができるかもしれません(後略)。

CSSやStrictなHTMLの利点の一つに「ユーザースタイルシートや代替スタイルシートなどによって利用者に選択の幅を持たせることができる」というものがあります。そういった技術を活用されている彼は、その点で大変意識の高い層の人と言えるでしょう。それだけに、そういう人から冒頭のような発言が出てきたことには驚きを禁じ得ませんでした。

鶏ほどの記憶力もないバカ

言われてみれば確かにそうだ。疑問を呈した際、自分の使い方以外の使い方を思いつけなかったことは、紛れもない事実である。それは想像力――というより、他人の思考を近似する能力[1]が欠けてるんじゃないかと思うに至った。「自分が使いやすければ他人だってそうだろう」という自己中心の思考があったのだろう。つまりそれは、「選択の自由」を実利的に解釈した産物であるといえる CSS や (X)HTML といった技術を真っ向から否定してしまっているということに他ならない。それにはたと気づかされたという意味で、私のほうも驚いた。

他人の思考なんて完全に近似できるわけがない[2]のだが、できる限りそうしてみようとする行為そのものは決して無益ではない。

何だかなぁ……。結局芯では理解できてなかった事実が露呈したってことか。まあ落ち込んでばかりもいられないので、休日を使って新しいサイトデザインの続きをやるとしよう。……完成はいつになるかわからんけど。

脚註

  1. 人はそれを「感情移入」ともいう。もしかしたら、私でさえそれを強制的に発現させられるがために、私はディックの著作から離れられないのかもしれない。「去年を待ちながら」のエリックには、どれだけ気分をブルーに――ないしサッパリと――させられたことか。
  2. もちろんあらゆる人にとって常に使い勝手のよい単一のUIを提供するということは不可能と言い換えることもできる。

2007-01-19

コードギアス第二クールのオープニングが話題になってるようですが

ぶっちゃけ一回だけてきとーに観ておしまい。絵もバンク(というか使いまわし)が多いし。楽曲が「意味不明」「あってない」とかで話題になっているようだし、当のボーカル(歌う人のことなんだと)本人が Blog で愚痴ったらしい(?)という話もあるようだけれども、それら全部含めてどうでもいい

感情的なだけの意見は全部ノイズとして、そもそも音楽という概念に全く興味がない私にとって、コードギアスの新OPで使われている歌がいいものか悪いものなのかなどまるでわからない。ただ「音楽」という名目のもとに提供されている音があるだけ、という認識。聴いていて愉快にも不快にもならない。そこにネタが仕込まれていれば当然反応するだろうが、特にそんな様子もない。

そもそもの話、愚痴ったというのも別段 OP のことではないという見方もある。何しろ「コードギアスの OP の件」とはひとことも書かれていないからだ。だが時期があまりにも重なりすぎている。それが問題。だからどうしても「コードギアスの OP の件」に限定した思考が成立してしまう。その流れは危険なので保留にしてるけど。そんなんだからどこぞのカタブツと似たり寄ったりなんだよーと言われても、その通りなんだから反論もクソもない。

そういえばこの前、生まれてこの方音楽 CD というものを買ったことがないと言ったらびっくりされた。そんなに驚くことかよ。このご時勢だし、そのくらいいくらでもいそうなもんだけれども。あ、でもラジオ CD (?)買ったから、アレ音楽 CD といえなくもないかも。ちなみに初めて買ったラジオ CD は「ぱにらじだっしゅ!」の DJCD だったりする。

2007-01-18

Windows エクスプローラのフォルダバーを表示させる理由が全然理解できない

スラッシュドット ジャパンのブラウザのお気に入り、サイドバーに出しますか?というエントリから、似たような話として。社会人になって初めて Windows エクスプローラのフォルダバー(左側に出るディレクトリツリーのアレ)を常時表示させている人をよく見かけるようになった。個人的には、あれを表示させている人が全く理解できない

そもそもよく使うディレクトリやその周辺の構造というものは、使ってるうちに頭の中に入ってしまう。一旦忘却したとしても、ポインタとしてのカレントディレクトリ表示ですぐに自分がどこにいるのか連想することができる。この感覚は Windows の GUI よりも、UNIX/Linux などのシェルのほうがピンとくる人が多いだろう。階層が深くなればなるほどパスが長くなり、いちいち表示させていたらうざったいことこの上ない[1]。必要なら pwd すればいいんだし。自分が何という名前のディレクトリを見ているかだけわかればいいのだ。きっかけさえあれば連想でどうにでもなる。記憶力があまりよろしくないと思われる私であっても、その程度の連想配列を格納する領域ぐらい持っている。

だが世の中にはわざわざディレクトリツリーを表示させようとする人がいる。それが前述のフォルダバーを出し続ける人種だ。あれは非常にわかりづらい上に、逆に非効率的だと思う。階層が深くなるほど横スクロールが発生してうざったい上に、エクスプローラが変なキャッシュを行うためにファイル数が膨大なディレクトリの親ディレクトリを表示しようとすると固まってしまったりする。そんなことをするぐらいなら、ショートカットを整理しておけばいい。一発で参照できる。

ううむ……。彼らは何がしたいんだろうか。

脚註

  1. Windows のコマンドプロンプトなんかはコマンドを入力する度にフルパスを表示してしまう(カスタマイズ不可?)。使いにくいことこの上ない。bash にしろ zsh にしろ csh にしろ、カスタマイズできるということは非常に素晴らしいんだなとつくづく実感させられる。

2007-01-17

「R.O.D. The TV」全26話視聴完了

いやー終わりがああなるとは。実にアレというか。一応ネタバレなしで。

後半の鬱展開驀進はかなり心臓に悪かった。とはいえそれなりにしっかりまとめちゃったのは評価できる。色々と気になるところはあるけどね。いつの間にかいなくなった紙使いだとか。どこいったんだか。あの怪しさ満点のキャラは出てきたのに。読子の優柔不断っぷりというか、流され過ぎなところはもうイライラの源でしかないね。最後の最後であの台詞を吐いたのはよかったが。でも……そのあとでまたコロリと変わりそうで怖いわ。

そうだな……これから久しぶりに「かみちゅ!」でも観直すか。ひたすらに脱力できるゆりえ様を拝むために。

2007-01-14

飲み会後の一服

今日は新年会というめんどくさいことこの上ないイベントがあって、参加してきた。まずいビールとどこでも食えそうな食事を済ませた後は、二次会などには参加せずとっとと退散。カタルシスの欠片もないような会には早々に別れを告げるべきだと思う。因みに、この新年会で訪れた店は個人的には二度と行きたくない。

で、珍しく飲み足りないと思ったのでついでとばかりに「よるのひるね」へ。この店は何というかとても居心地がいいのです。いい感じに薄暗い店内も、読み放題の本(興味をそそられるものばかり!)も、おいしいコーヒーも、酒の揃い具合も、一味違う食べ物も。何より嬉しいのは、黙々と一人で本を読み続けていても全く違和感がない雰囲気。ついつい長居してしまう。今日はコーヒーはいただかず、アーリータイムズをいただきつつ「Decoration Disorder Disconnection」を読み耽っていた。おつまみは砂肝ジャーキーで。客も騒がしい人間はほとんど訪れない。適度な声で話していてくれる。だからそれほど邪魔にならない。

そんなこんなで今帰ってきて、時計を見たら日付が変わってるでやんの。でもこの文書のタイムスタンプは13日ってことで。

悪い酒のあとのいい酒は、とてもおいしかった。また行こう。今度は別の本を持って。

2007-01-13

とりあえず、本を

最近薄い本ばかり買ってしまっていて、一日一冊のペースで読んでいるため非常にコストパフォーマンスが悪いのだが、今日も今日とてまた購入。

いやはや、ようやく見つけたよ奈須きのこ新刊。何でか置いてないんだもの……。でもようやっと購入。ゆっくり読みまっせ。

西尾維新の新刊もついでに購入。でもこの KODANSYA BOX とやらは大きさが微妙だなぁ。一般的な単行本を少し縮めたサイズというか。本棚に入れにくいことこの上ない。勘弁してくれ。

「うたかたの日々」は何となく。ちょっと読んだけど、まあ最初からブッとばしてますわ。あとも楽しみ。

で、以下は一昨日購入したブツ。

両方読了。薄いし。「ダブルダウン」は小品といった趣。「教養」は普通に通史として読める。言及されている作品中、実際読んだり観たりしたことがあるのは吾妻ひでおの「夜の魚」と「機動戦士ガンダム」(の途中まで)、「トップをねらえ!」に「新世紀エヴァンゲリオン」ぐらいだ。まだまだやねー。とはいえ全部をそろえるとなるとまた金がかかる。どうにかならんものか。

日曜は神保町に行こうかな。「R.O.D. The TV」は第20話まで視聴。……なんだかどんどん鬱展開に。でも面白い。何となーく先が読めなくもないが、それは完全に狙ってやってるんだろう。さすがにアレに釣られるのはいないとは思うが。しかしコメンタリを聴くために一度同じ話を観なおさなければならないため、倍かかってる感じ。ものすごく大雑把に計算すると、1話だいたい25分として、3話で75分=1時間15分。倍の2時間30分はかかるのか。全26話なので合計10時間50分、倍だと21時間40分。あ、でも1日は要らないのか。そんなもんか……。

2007-01-12

ふくらみかけの美学 & Macworld 2007 でのジョブスの講演映像

ふと「ふくらみかけの美学」をググってみたら、思いのほかヒット数が少なかった。唯一まともな言及をしていたのが、驚くことに伺か Ghost である「ねこことショータ(RX)」を配布しているねこ専科 NYANee! のリンク集ぐらいだった。知ってるサイトであることも驚きだが、結構マイナーな概念なのだろうか。

友人のうちで、この概念を理解しているのは知りうる限りではひとりしかいない。他にはいつも「……えー」と言われてしまう。むぅ。悪かったな。微妙な趣味で。

話は変わって、昨日の iPhone 関連で色々調べてたら、Macworld 2007 でのジョブスの講演映像(QuickTime 必須)が見つかった。さっそく観てみる(英語はニュアンス程度しかわからんが)。……ううむ。iPhone が登場した時は思わずゾクゾクしたが、まず観客の熱狂ぶりが凄まじい。勿論 Apple 社員のサクラも紛れているだろうが、だとしてもあそこまでにはならないだろう。iPhone に対する期待の高さが伺える。結局長丁場なのだが、飽きさせずに聴かせるプレゼンテクニックは様々な場所で言われているように流石。資料映像も綺麗だし、デモ映像もそれなりに凝った造り。一見の価値あり。

今日は久しぶりに早めに寝るか……。

2007-01-11

iPhone - ゾクゾクするほど欲しくなる

ついに噂されていた Apple の iPhone 発売が公式にアナウンスされた。スラッシュドット ジャパン経由。まあ、まずはそのフォルムを見た方が早いだろう。百聞は一見に如かず。

ものごっつ欲しいんですが。何しろ中には Mac OS X が入っているのだから。あの素体に PC 用 OS が、機能限定とはいえ詰まっているということ自体がもう驚き。どこぞの Windows Mobile なんか目じゃないぜ。

全面フルタッチスクリーンの液晶モニタは構想としてはありふれているものの、問題はそれを使ってどのようなインタフェイスを構築することができるか。Flash アニメーションによるデモ(電話編Safari 編)や実際の動作映像を見てもわかるように、はっきり言ってかなりいい感じ。モーションセンサ搭載という点は昨今の流行のようだと思う。Wii リモコン然り、PS3 コントローラ然り。

日本では何とか au で……ってのは無理か。出るなら十中八九ソフトバンクだろう。それが悔しい。でも欲しい。でも出るのは 2008 年頃という情報もある。ちょっと先になっちゃうな。というか iPhone、au のデザインケータイが全部霞んで見えちゃうフォルムなんですが。結局、誰も「ケータイ」形状の刷り込み呪縛から逃れられていなかった。iPhone はそれを見事に看破してしまった。

最も恐るべきは、OS に Mac OS を普通に使ってしまおうという合理性。自社開発の OS に、自社開発のハードウェア。まさに独壇場だといっていい。かなりの面倒なインタフェイス開発を丸ごと省けたというのは大きいだろう。そのツケはハード屋とデバイスドライバまわり・カーネルまわりのソフト屋にまわってくるわけだが、それでも全部一から作るよりはまだマシだ。

iPod と同じく非常に薄型軽量なのもいい。バッテリのもちがあまりよくないのだけがネックだが……弱いのかな。その辺。

ああ……欲しい…………欲しいよう。

2007-01-10

久しぶりに自前で買ったビールを呑んでみる - BECK'S

あまり酒は買わないし呑まない方だけれども、今日は珍しく早めにあがれたので帰りに商店街で色々買い物しつつ、ビールを購入した。「BECK'S」というドイツビール。風呂上りに早速呑んでみた。やっぱね、どんなに下戸でも風呂上りの一杯は最高っすよ。

まず驚きなのは、びっくりするほど喉越しがよいこと。味はしっかりしているにも関わらず、ぐいぐいと呑めてしまう。あっという間に 330ml 瓶が空になってしまった。香りは少し薄め。しかしどこぞのクソドライなんかとは比べ物にならないほどおいしい。

因みに、私はドライ系のビールが大嫌いだ。第一味が薄くて呑んだ気がしない。そのくせ変に酔いがまわりやすく、舌触りの悪すぎる苦味が後押しして頭痛を触発する。二度と呑みたくなんかないのに、安い酒場で呑み会があったりすると必ずといっていいほど主役だ。工業用アルコール焼酎よりいくらかマシとはいえ、選択肢が狭すぎて辟易させられる。ドライ好きには申し訳ないが、私はドライ好きの味覚が理解できない。そういうお前だってルートビアのような代物が大好きなんだろうと言われればそれまでなのかもしれないが、ぶっちゃけルートビアをドライビールに置き換えれば私とて全く同じ心境である。

意外に飲めるのが、ビールによく似せた飲料、つまり第三のビールやら何やらといわれているものたちだ。というより、あれは最早ビールですらない。味の薄さ、香り、喉越しと、どれをとってもよく似ているだけのものでしかない。だがまだドライよりは飲める。缶ひとつぐらいなら。それ以上になるとおなかいっぱいだが。

ああ……いい感じに顔が火照ってきた。瞳孔が収縮しているのがわかる。今日は早めに寝よう。

2007-01-09

うたわれるものらじお 特別盤が届いた

ついにきた。DVD を買った挙句にゲームまで買ってしまい、そのついでに応募してしまった「うたわれるものらじお 特別盤」。郵便小為替なんて生まれて初めて買ったよ……。ともあれ聴いてみることに。

薄皮しか見てないですから

……いきなりですか、中原さん。「あーん」に代表されるスルー力も益々磨きがかかって、もう笑いが止まらない。これ台本どうなってるんだよ……本当のフリートークならもう無茶苦茶としかいいようがないのだが。

あとは、小山(剛)×桐井……いやごめんなさいすみませんいや心の迷いというか。絶対ネタにされるなぁ。これは。

いやもう面白かった。「夢想歌」のアレンジバージョンも入っていて少しびっくりしたし。市販されないのが逆にもったいないが、特別盤なのでまあいいや。

あー。「R.O.D. The TV」の続きも観なきゃ。アニタが「かみちゅ!」のコメンタリで「頭ぐりぐりしたい可愛さ」って言われてたのがとてもよくわかった。確かにその通り。かぁいいんだこれが。どっかのレナならお持ち帰りしちゃうわな。

個人的にはねねねのぐーたらっぷりが非常に共感できて何ともはやな感じ。ぶっちゃけあれぐらい本欲しいよ。流石に読子ビルとはいわないからさ。

2007-01-08

おたくの娘さんは黒い季節に白雪の夢を見るか?

全部合成(+その他)したらぐちゃぐちゃになってしまった。というわけで今日買った本のリスト。

「おたくの娘さん」は普通に面白かった。だが……娘に関しては結構超設定。ぶっちゃけ無茶苦茶でんがな。そもそも、主人公が童貞じゃないという事実で、世のおたくの一部からは目の敵にされそうな……。まあ私自身はそこまで狭い心の持ち主じゃないけど。どっかの誰かが眉毛について力説していたが、確かにこれまで表立って話題にはなってなかったなぁと。その人間の印象を決めるうえで欠かすことのできない「顔」の、感情や性格を如実に表せてしまえる部位として、きわめてデリケートなものだとは思う。かくいう私も眉毛については色々と昔から言われていた方。所謂「垂れマユ」。ぶっちゃけそんな眉毛が嫌いじゃないので、強制排除したりはしていない。しかし、親父は少し垂れてるけど私ほどではないし、母は薄くて殆どないに等しい状況だし……どっちに似たんだろ。

「黒い季節」は前々から読んでみたかったので、新装版が出たついでに購入。本当は文庫で読みたかった(財布の中身が……)けれども、まあいいやと。読めることが重要なのである。まだ半分も読んでないが、なかなか結構なお手前で。説明台詞が少々引っかかるぐらい。いや、確かに奈須きのこの諸々に比べれば少ない方だけれどもさ。

「スノウホワイト」はちょっと気になりだした諸星氏の本ということで。絵が上手いだとか下手だとかではなくて、独特の……話そのものに惹かれた。狂気と笑いと悲哀がいっしょくたになっても決壊してないこと自体が凄い。ちくしょうまた蒐集対象が。

ちなみに、「おたくの娘さん」を読んでいて「おや?」と思ったのは、主人公である守崎耕太が、第十話冒頭で会話している際に持っている飲物がアレだったことだ。

そう。「MAX コーヒー」である。恐らく旧デザイン缶。ということはB級飲料全般に対するキャパシティを持ち合わせている可能性がある。まあ Dr Pepper でギブアップしてしまう可能性もあるのだが。アレは登竜門なのだろう。B級がイケるか、イケないかの。だが、MAX コーヒーはただ甘いだけで、肝心の香りは普通の缶コーヒーのそれと同じだからなぁ。「甘さ」という観点だけなら、香りまで安っぽい上に甘ったるいことこの上ない、ダイドーのミルクセーキの方が遥かに上。

そういえば、最近近所の自販機に MAX コーヒーが入るようになった。房総半島限定だったのに、少なくとも東京に進出した可能性がある。房総半島以外の場所で見た、という目撃証言もいくつかあるので、もしかしたら全国展開しちゃったのかも。まだ確定じゃないが。だとすればどこに行ってもあの味を楽しめるわけだ。いいね。

タイトルの最後の元ネタは、P.K.ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」から。最近読み返してないけど、語呂がよかったので何となく。

そうだ。明日は神保町に行こう。ディックの本、まだ蒐集しきれてないし。そうだな……「戦争が終わり、世界の終わりが始まった」辺りがあるといいな。あと「メアリと巨人」。「ニックとグリマング」「小さな場所で大騒ぎ」は読んだことがあるけれども、まだ持ってない。「ウォー・ベテラン」は見ないなぁ。あるかな?

「銀星倶楽部」の1982年12号もまだ見かけたことがない。サブカル系の雑誌だから、もう少しそっち寄りの古書店に行かなきゃ駄目か。

2007-01-07

寮生の味方の生みの親、死去 - チキンラーメンよ永遠に

スラッシュドット ジャパンのタレコミによると、日清食品の創業者にしてチキンラーメン & カップヌードルを生み出した安藤百福氏が死去したとのこと。享年96。寮生時代、安くて味も悪くなく、茹でることなくお湯だけあればつくれるチキンラーメンにはかなりお世話になった。少しぬるくなってしまった、魔法瓶に溜めておいたお湯を使っても、しっかり作れてしまう簡単さと利便性は、他の即席ラーメンの追随を許さなかった。元祖にして定番、安くて腹にたまる。味も問題なし。まさしく寮生の味方、学生の味方であった。そんな便利グッズを開発してくれた氏にはありがとうという他ない。

ちなみに今日の晩飯はそれにちなんでラーメンにした。近所のお気に入りの店でチャーシュー麺 + ギョーザ。

2007-01-06

コードギアス三昧

BIGLOBE ストリームで視聴可能だったので、とりあえず11話まで全部観てみた。……うーん。面白いには面白い。完全な傲慢ではないルルーシュの性格は、完璧超人ではないという欠落を前提とした上で、しかし先に進むことができる設定として有用だ。

とはいうものの、「正義の味方」とは。また随分と語り尽くされた概念を持ち出したものだ。ギャグと紙一重にまで落ちぶれてしまったそれを、時折ネタとして消費させつつ復興させる気だろう。現代において、既に「正義の味方」という概念は散々その肩書きを借用され、あらゆる角度から語られた結果、マイナスイメージの塊として定着を果たした。故に一言で語られてしまう惨めなものとなった。曰く、「かっこ悪い」「馬鹿馬鹿しい」「幼稚」などである。それらは親から子へと着実に伝承した。一言で表される状態は、まだ概念の理解もおぼつかない幼児にも定着しやすい。それを口にされ、認識したら最後、先行イメージとしてまず脳裏に刷り込まれ、条件反射的に発現するようになる。

もし「コードギアス」が本当に正義の味方の復権を狙っているのだとすれば、まず考えられる戦略は、これらの前提条件を全てひっくり返すことをである。つまり先行イメージ、特にそのマイナス側面を、できるだけ確実に減少させることだ。ここで排除を行おうとすれば、それこそ「嘘」という絶対的否定の起爆剤となる。あくまでも「正義の味方」にリアリティ――整合性――を求めるならば、全否定の導入は絶対回避しなければならない。こういう側面もあるが、しかし……という包容力、すなわち「肯定」を提示しなければならない。だからこそ本来避けるべきと思われがちな「お約束」を、それこそ初期段階から当たり前のように導入することは、決して無駄ではない。「黒の騎士団」という、負のイメージからしたら当然笑いものにしかならない設定(正義の集団)もまた、お約束の部類に入るからこそ初期段階で導入することが望ましい。主人公とライバルの存在、正体不明のリーダー、ご都合主義をうまく導入するための超能力設定などなど、枚挙に暇はない。目的が「争いのない世界」という壮大にして実現不可能であることが証明されているようなものであることもまた然り。

ただ、それを踏み台にした上でどうにかする――という意思は着実に存在していると思う。例えばそれはルルーシュの中途半端にとどめられた傲慢さであったり、決して濫用しない能力であったり、確実に行われている討論であったり、外的刺激と内的刺激の対立項を存在させていることであったりする。

外的刺激と内的刺激については、ルルーシュとスザクそれぞれの思想を指している、といえばピンとくるだろう。双方共にベースとしているのは「組織」である。組織に対し、外側から何らかのアプローチをかけ、最終的にはその前面破壊を目論むのが外的刺激、即ちルルーシュの思想。逆に、組織に対し、内側から何らかのアプローチをかけ、最終的にはその組織そのものの制圧・改変を目論むのが内的刺激、即ちスザクの思想。殺すに剣か毒か、である。

これらはどちらが優れており、劣っているという区別がつけられない類の対立である。偶然や条件によってそのバランスが崩れた時に片方が勝利するか、平行線をたどるか、共倒れになるかの道がある。いずれにせよ、どちらかが勝利した時にのみ何らかの平和が訪れる。

対立項は他にも存在する。それは帝国の弱肉強食主義と、ルルーシュとスザク双方に存在する平等主義である。

かくして対立は複雑となり、物語の平坦さが避けられている。

ただ、ルルーシュはどちらかといえば……そう、「正義の味方」をうまく使っている、といっていいだろう。どこぞの皇国の守護者みたいに。ただ、軍人と決定的に違うのは「正義の味方」というものに対しての態度だろう。幻想ではない、という気持ちが少しは残っている。

……今日はこれまで。それにしても、あの「ガン×ソード」監督である谷口氏が監督だったとは。新作出したら観ようと思っていただけに、悔やまれる。それもこうして11話まで観れたのだからまだいいか。録画リストに追加確定。DVD は……TSUTAYA に置かれないなら買うか。それしかない。

2007-01-04

あけましておめでとうございました - 2007

ということで2007年。年末年始が無茶苦茶に忙しくて死にそうな今日この頃。31日コミケ & 帰省、1日初詣、2日同窓会、3日お茶会(?)。休む暇もない。同窓会のあとは睡眠を新幹線の中でとる始末。どこのバリバリサラリーマンだよ畜生。休みは明日までで、仕事は5日から。ぶっちゃけ全然休めていない。ようやく今日になってコミケ戦利品の整理 & 鑑賞を開始したというのに……。

今年は恐らく超のつく忙しさであろうと予測されている。仕事がどえらいことになるらしいという話が持ち上がっている(勘弁してくれ)し、仲間内でとある計画が着々と進行中。こりゃ睡眠時間は平均3時間ですな。でないと何もできなくなる。情報収集もこのサイトの更新も、デザインを考えることも。ううむ。やりたくないことを延々とやらされる職場ほど辛いものはない。やりたいことを延々とやれる職場が最高なんだが。「面白くって気づいたら残業してました」というのが理想なのだが、それは理想であって、現実ではない。

そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。

2007-01-03