ついにこの時が来た。どうしても入手しきれていなかった一冊、『シミュラクラ』(フィリップ・K・ディック サンリオ SF 文庫)が今、私の手元にある。
素晴らしい……。最高の気分だ。これでディックの邦訳済 SF 長編は全タイトルを揃えたことになる。無論、サンリオでダブっているものはまだだが。あと、SF ではない『小さな場所で大騒ぎ』『メアリと巨人』は未入手。ああ……はやく全て読みたい。
この作品は、ひどく自覚的に自作に含まれる要素をチョイス、適度な配合をもってそれらを合成した代物であるといってよいだろう。自と他の間にある感覚相違や人工的な言語駆動による組織細胞の非現実性表現、平行世界と無限ループ、そこに陥った主人公の精神的疲労。尺自体も神林長編(中篇というべきか?)にしては比較的短いという特徴も相俟って、印象的ながらも少々不完全燃焼気味の出来具合が惜しまれる。やろうとすれば『膚の下』や『猶予の月』といった長大長編も書け、特に『膚の下』は完成度が高い。
既に映像化された作品のノベライズという立場であり、かつ独自の主人公を起用するという常套手段を使いながら、ここまで『ラーゼフォン』の世界を彼一流の言語空間で染め上げ、深みを与え、否定されることはあり得ない出来栄えで仕上げたことは特筆すべきだろう。
徳間デュアルという、よく言えば中堅どころのレーベル刊であるため、そこそこ大きな書店に行かないと見つけられない。しかも、2002年刊行の影響で版元品切れの可能性だってある。確かめていないが。ともかくも、神林ファンなら押さえておきたい一編である点については賛同を得られるだろう。
The Web KANZAKI 経由の情報。リストをざっと流し読む限り、こりゃかなりまずそうだ……。CSS 2.1 恐るべしといった感がある。CSS 3 の REC がいつ出るか全くわからない情勢の中、CSS 2 シリーズがこれから先10年単位で用いられる可能性がある[1]。CSS 3 シリーズのモジュールでは、とりあえず CR になったものがいくつかあるが、殆どが WD だったりする。一応文書になっているだけマシだが……。最新情勢の一覧を W3C の CSS サイトにある作業中文書一覧で調べることができる。この表はとてもありがたい。一発で最新の文書を参照できる。
ナンセンスで馬鹿馬鹿しいのだが、時折紛れ込む事実の匂いがとても心地よく感じられる一品。『かめくん』とも微妙にリンクしている。人によってはとても読みにくいと感じられるスタイルで物語(というより「叙述」とでもいうべきか……)は綴られる。そして、この世界は物悲しいものであることが後に明らかとなる。
ラストシーンのくだらなさは、その前段階を経ているからこそ一層馬鹿馬鹿しく、無意味で、いやらしく、幻滅させられるような出来にされている。だがそこにこそ、一抹の救済というものを見出すのはあまりにも軽率な行為であろうか。グッドエンドにしか見えないようなバッドエンドであることはそこそこ隠蔽されているのも効果を発揮しているように思われる。
何にせよ、北野ワールドをじっくり体感するには少々短い上に、断片化が凄まじいので素人にはおすすめできない。まあ……まずは『かめくん』からなのかなぁ。アレはバランスがとれていた。
あら不思議。欲しかったブツがあるではないか。それが『人間狩り』(フィリップ・K・ディック ちくま文庫)と『イカ星人』(北野勇作 徳間デュアル文庫)。『人間狩り』は既に論創社版を持っているものの、あったんだから買わなければ。『イカ星人』はどうやら版元品切らしいので、かなりラッキーだった。たまに寄ってみればいいこともあるということだろう。基本的に Book-Off は嫌いだが。本の扱いに全く無頓着すぎて。
さてどうしよう。一気に積読が増えたわけだが……。ちまちま読んでいくか。
Warning 以下の内容は多分にネタばれ・個人的解釈を含んでいる。ネタばれや、個人的な解釈を読むのは嫌だという方は、読み進めないことをお薦めする。
まとめきれないので完全に stub な文章である。畜生。
この物語を読んだ時、真っ先に思い浮かべたのが『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』に登場する合田一人の存在であった。合田は意図的に模倣者の媒介たる英雄のプロデュースを画策、一定の成果を収めた人物である。そして勿論、英雄という名の幻想はその存在を現実のものとすることを許されない。時代は既に、英雄そのものを喪失した過去によって構成されており、故に死即ち消失をもって初めて英雄はその存在を確固たるものとして(非常に希薄になるという意味合いにおいて限りなく逆説的に)同定され、伝播の基点となりうる(起点ではない)。本作に登場するジョン・ポールもまた、非常に類似した思想並びに実践理論を持つ人物である。
しかし、ジョン・ポールは全くといってよい程に異なる理論をもって、自らを媒介の起点ではなくむしろ媒介の手段として創造した。存在そのものを消し去れなかったという点において既に「消滅した媒介者」ではないのもその理由のひとつであるが、むしろ彼は自身の存在を留保したままに「虐殺」という模倣子(ミーム)をばら撒き続けることに成功している。そもそも模倣子という表現すら適切な語ではない。
主人公クラヴィス・シェパードは最終的に、アメリカ合衆国という国家そのものを虐殺の泥沼へと引き摺り込むことに成功した。そこには明らかな絶望と虚無があったにせよ、しかし適切に「虐殺の文法」が行使された結果であった。
……続くかも。
xyzzy の svn-mode で commit 作業をやらせる。C-c i でコメント書き。書き終わったら C-c C-c で commit。これだけ。コメント面倒ならつけなくてもいいし。いちいち "commit" とタイプする手間も省ける。素晴らしい。
ただこの svn-mode、導入時に盲点があったりする。xml-parser-modoki が必須なのだ。どちらも netinstaller でインストールできるのでさほどの手間でもない。
尚、私は netinsaller の autoload 機能は一切使わないようにしている。確かに自動で反映までやってくれるのは楽なのだが、それでは任意にその拡張 Lisp だけ Off にするにはどーすんだという話になってしまう。.xyzzy
などに書く、正統派のやり方なら全てを「自分で」コントロールすることができる。ココ大事。暴走を容易に止められないプログラムほど性質の悪いものはない。
随分と時差のあるリリース。『オイレン』の方は随分と前に出た記憶がある……。まあその分増量した(のかもしれない)分量が心地よい。頁当りの文字密度はやはり低いものがある。とはいえ1冊620円というのは近頃の早川や創元の文庫値に慣れてしまった私の目にはとても新鮮。特に翻訳は4桁に限りなく近いから……。
同時期の世界を扱った2タイトルの主人公たちはこれでもかというぐらいに対比された構造を与えられている、と唐突に言っておく。勿論性格、環境、性能の違いによって進む道はおのずと異なってくるのだが、「必然的」な偶発が描かれる場合はかなり意図的な手心を加えている。そんなにおっさんと少女の恋物語(片方は羨望といった方がいいか)が好きですか。そうですか。
相変わらずのマルドゥック・ヴェロシティ劣化調の記述法は、とても速読に適したものとして意図されている。スピード感を実時間のそれで追求するわけだ。間に挟まる記号をきちんと脳内でデコードできるようになれば、気持ちよく読めるようにしてある。この方法は一般的な速読と同じだろう。少なくとも私が速読する時とよく似ている。つまり文字を1文字ずつ認識するのではなく、ある種の集合体、モジュールとして文や段落、単語を捉えていく。その頁が「何となく何をいわんとしているか」が読み取れればそれでよいという状況。無論失敗も多々あるため、読み直しの必要に迫られることもある。因みに分割の方法に加えて特に音読する際便利な思考方法なのだが、目で追っている文字と脳味噌で認識している文字のタイムラグを自覚し、自らその感覚を引き伸ばしてやるというのがある。喋るとなると更に口や咽といった装置への伝達も必要になり、物理的なものである以上シークタイムというべきロスタイムが発生する。……まあ、何も考えずに読んでると段々ズレてることに気づくような感覚で間違っていない。
ああ、今日はこの本を買ってしまったので他の本が読めなかった。……本棚に既に入らず山積みになったタワーがもう7つを超えた。どうしよう。このままでは下の方にある本が甚大な被害を被ってしまう。ぐ……。
サクサクと Subversion をば。バージョン管理システムはコンピュータ上で秩序だった行為を行うにあたって基本となる存在であるのは事実だが、未だ導入せずじまいだった。せっかく CVS の代替システムとして SVN が登場してそこそこ時間も経過しているので、じゃあ入れない理由がないだろうと。この文書も、xyzzy + xml-mode + svn-mode で書いている。
学生時代は、たまに全体のスナップショットにあたる全ファイル ZIP 圧縮を手動でやっていた。今でもその残骸が存在しているため、時折昔の自分が造ったどうしようもない代物を眺められるという贅沢に浸ることができる。……バックアップって大事だ。うん。だがこれからは SVN リポジトリに溜められていくので、もっと柔軟性に富んだ過去バージョンの取出しができる。
SVN のリポジトリは master ディスクではなく、slave ディスクの方に置くようにした。データが吹っ飛ぶとしたら、まず古くて OS の入っている master だろうな、という判断と、slave に入れておけば何かと運搬にも便利だろうという魂胆から。
早速このファイルも commit しよう(テストした時は、ついつい cvs commit
とタイプしてしまった……)。話はそれからだ。
第六話を間違えてもう一冊購入してしまい後で気づいて非常にブルーな気分になったことがある私である。七話を買う時、思わず色々な部分を確かめてしまったものだ。
それにしてもこの講談社 BOX、値段が張る。文字数は少なくてもノベルスと同じ価格帯(1000円前後)というのはいかがなものか。しかし装丁はかなり立派というか、その名のとおり BOX に入っている。ラインナップにも興味深いものが揃っているし、今のところはうまくやっているといえるのかもしれない。問題はこの後なのだが……。それはそれ、長く続いてもらうことを期待しよう。
内容は、やはり月いちペースでの刊行とあってか、文体に焦りのようなものがちらほら見受けられる。行数稼ぎのような光景もある。だが内容的にはさほどの破綻もなく、どこぞのディックのような状況には陥っていない。まあディックの場合はアンフェタミンの作用下で執筆せざるを得なかったので、その影響もあるのだが。その点こちらは恐らくカフェインの影響ぐらいだろう。受けていても。健全なもんだ。
『虐殺器官』は読破中。遅くとも明後日には読み終わるだろう。
Mozilla の世界のコンベンション in Japan。それが Mozilla 24 か。SF 界では年に1度行われるが、数ある UA の中でも有力な、色々な意味で私の、我々のブラウジングライフを豊かにしてくれた集団をとりまとめる組織による大プロジェクトというのは史上初かもしれない。行ってみたいなぁ。
Gecko の恩恵にはずっと感謝しっぱなしだ。ううむ。企画募集中か……。何かいいアイデアがあればいいのだが、生憎と今はすぐに思い浮かべることができない。何か思いついたら送ってみようかしらん。
本に対する愛。それがこの雑誌の根幹にある。故にどの記事も面白く、あっという間に読んでしまう。この号で印象に残ったのは『銀しゃり』(山本一力 小学館)か。文字の力だけで味覚まで刺激させられるとは、何たる脅威。紹介されている粗筋だけでも読みたくなってきたな。本用貯蓄がもういちど貯まったら買いにいこうか。
さて、明日は珍しく連続買いしたハヤカワ J コレクションの注目作、『虐殺器官』(伊藤計劃 早川書房)でも読みましょうか。
所謂「新潟県中越沖地震」。またしても新潟方面。……東海地震は一体いつになったら訪れるというのだ。いや、来ない方がいいんだけれどもさ。一番理想的なのは徐々にエネルギを分散してくれる地震。震度3くらいのやつが長スパンできて、徐々にプレートの沈降に伴うエネルギが拡散してくれるという考え方。もっともそれはかなり理想論かつ極論で、現状ではどうにもならないのだが。
幼少時代を静岡県という「東海地震のトップクラス被害予想地域」で過ごした経験上、地震に対する警戒心と慣れはかなり大きい。校庭が液状化現象予想地区の真っ只中で、実際に地震が発生したらとてもじゃないが避難どころじゃなくなるという話もあったりした。砂地だったからなぁ。海にも近いし。家を建てるときは、死にたくなかったら必ず地盤検査をして比較的頑強な部分に基礎を建てるようにするという話は最早常識といってもいいかもしれない。地盤検査にも金はかかるが、命には代えられない。土地に岩盤があれば幸いだが、砂地でしかない場合は最悪だ。
そういえば職場で地震に遭遇した時も、揺れがさほど大きくなかったので「震度3ぐらいかな」とそのままじっとしていた。周囲では「うわぁ」「地震だ!」と騒いでいる人もいたが、おそらくあまり地震が訪れない地域の出身者だったのだろう。下手に騒ぐとパニックを誘発してしまう。収まるまで黙っている方がいい。特に何事もなく収まったが、あとで話を聴いてみると「こんな揺れは初めて」という人が少なからずいたことに逆に驚いた。日本って、そんなに地震が少ない地域があるもんだろうか。プレートの上に乗っかっているだけの、脆弱な世界有数の地震大国なのに。
小さい地震は日常茶飯事だった。「あ、これ震度1ぐらいだな」「今日は大きいなぁ。3ぐらい?」という会話も、学校で遭遇した場合にはよくあることである。そして、滅多に震度4以上の揺れはやってこないし、直下型か否かで津波可能性の有無も体感的に理解してしまったりする。記憶が曖昧で鮮明に思い出すことはできないが、確か家で震度3クラスの地震に遭遇したときは真っ先に台所へすっ飛んでいたような気が……。何より怖かったのは地震そのものより「その後」のこと。
9月1日前後の休日に、確か防災センターに近所の小中学生が集められて防災訓練をやったような記憶がある。炊き出しや消火の練習をやった。消火訓練は古くなった消火器の中身を再充填するため空にするという意味合いもあったようだ。炊き出しも、古くなった非常食の消化という意味で以下同じ。近くの空き地に穴を掘って枯れ木を集め、消防署員立会いのもとで大人が火をつける。それを消火する。消火器は意外とすぐなくなるから出しっぱなしにしないようにだとか、火の根元を狙わないと消えないとか、特に放水する場合は火を撒き散らさないように加減するとか、そんなことを教わったと思う。
今回の地震で被害に遭われた全ての方に、これ以上の災難がふりかかることがありませんように。
ディックである。紛う事なきディックの作品である。シミュラクラ(人間らしさを持つもの!)に精神病、アンドロイド(プリス)に搾取される弱者としての主人公。典型的パターンだが、しかしそのパターンをパターンとして認識させながらも登場人物たちが織り成す人間関係の泥臭さに強制感情移入させる強引さは、読んでいるうちについつい引き込まれてしまう。
この作品は後半の展開がどうにも微妙であるといわれてはいるが、しかし序盤の流れからいくと確かに後半はああなるしかない。しかしバランスが悪いのは事実である(もう少し短くして展開を早めれば……というのは私の好み)。とはいうものの、プロットはあまり破綻していないし、構成上の乱れは少ない。『タイタンのゲーム・プレーヤー』よりはマシだ。
最初にサンリオ SF 文庫で邦訳された作品のひとつでもある。当時のタイトルは『あなたを合成します』だった。"We Can Build You" が原題なのだが、"Build" をどう解釈したかによって変わったのだろう。個人的には『つくります』の方が語感も意味も綺麗だと思っている。「つくる」を平仮名にしたのは、多重の意味を持たせるという意味でよい選択であったのではないか。日本語には「創る」「造る」「作る」といったニュアンスの違いがある。それらを全部ひっくるめることができるからだ。ボブ・バンディーらの「つくりだす」シミュラクラ達は、どれも非常に人間臭い。歴史上の偉人というのも手伝ってか、主人公よりも目立っているぐらいだ。そして、そんな人間としてのアイデンティティを完璧に持ち合わせた存在は、非人間的存在――アンドロイド――としての象徴であるプリスがいないとつくりあげることができないというのも皮肉すぎる。
比較的新しい(2002年初版)ので入手も容易。是非とも手に入れ、読んでみてほしい習作である。
起きたら夕方で、台風も既に過ぎ去った後。いやはや何もなくてよかった。そして室内用洗濯物乾燥機(ハンガーに吊るして熱風で乾かすタイプ)万歳。これのお陰で梅雨時でも台風でも洗濯物を乾かせる。本当は夏の強烈な直射日光で乾燥させたいが、それはそれで。単なる室内干しよりも、生乾きよりも断然マシ。
明日で三連休も終わりか……。どこか出かけようかな。
……まさか本当に出るとは。誰も予期していなかったんじゃないか。ひとまず中身についてはもう言うべき言葉がない感じ。やりすぎだ。だがそれがいい。
えー、要は真正面から受け止めて消費するように、するべきで、してほしいという気配というか雰囲気がにじみ出ているので、その通りにすればよいかと。一番幸せになれる道だし。
表面的な部分は非常に控えめ(というより殆どない)のだが……。内面的には結構変えてある。日本では無意味(だが諸外国では有意義)な Copyright 表記の最終年を更新したり、一般 UA 用・IE6用・IE7用で分けてあるスタイルの変更方法を .htaccess + SSI から IE 専用の条件付コメントに変えたり。詳細は更新履歴に書いてある。
大きな変更は条件付コメントの件。これは利点もあるし欠点もある。
とまあ、以上の条件を色々と考えた場合、SSI + .htaccess は色々と制約が多いことが窺える。SSI にしても気をつけて使えば何ら問題はないのだが、往々にして例外と無知は存在するものである。.htaccess も同様。
MS の中の人も条件付コメントはあまり使わないでほしい的な発言をしているとどこかで風の噂程度に読んだ気がするのだが、ソースを忘れてしまった。
とりあえず暫くはこの状態で運用してみようと思う。……早く代替サーバ見つけないとな。
私の SF 遍歴の中でも最初期に購入したものの一つ。確か、映画化されたのでその原作本として購入した記憶がある。……ミーハーだったなぁ。恥ずかしくなる。ミスター・ハインラインの代表作のひとつだというのに。2000年3月15日の36刷なのに、まだ文庫カバーをして持ち歩かなかったものだから妙に表紙がボロボロで、テープで補修してあったりする。後にも先にも表紙をそんな無茶苦茶な方法で補修する羽目になったのはこの本だけである。
翻訳当時、『S-F マガジン』誌上で繰り広げられた舌戦の記録が生々しく載せられた長大なる『訳者後記』は一見の価値あり。1966年頃の、まだ第二次世界大戦の記憶が生々しさを保てていた時代に行われた論争は、21世紀を生きる我々にもかなりグサリとくるものを突きつけてくれる。因みに私はハインラインの軍国主義思想には反対派である。とはいうものの、ハインライン自身かなり周囲の環境や時代背景に影響されやすい性格だったようで、作品を時代別に読めば、どちらかといえば自らの内にある思想と現実を分離しようとしてうまくできなかった挙句に皆に誤解されまくる形をとっていたことがわかる。
更にこの作品は、日本に限った話であるが、歴史の転換点を形作ったイラストを載せたことでもつとに有名である。そう。その強化服のイラストが『機動戦士ガンダム』に搭乗するモビルスーツ、ガンキャノンそっくりなのだ。それもそのはず。文庫版『宇宙の戦士』が後のガンダム製作関係者に紹介された後に、あのモビルスーツのデザインコンセプトができあがったのである。この事実は SF ファンのみならずガンダムファンにも周知の歴史であるようだ。事実、私の知り合いのガンダム好きは『宇宙の戦士』の存在を知っており、文庫版も持っていた。
因みに映画版は『スターシップ・トゥルーパーズ』。強化服が一切出てこない、原作を知る者にとっては噴飯ものの代物だが、意外と内容そのものは風刺が程よく効いているそれなりのもの。主人公の人種[1]や複数ヒロインの扱いの差がどうにもアメリカハリウッド映画臭くて気に入らないのだが……。監督は『ロボコップ』で有名なポール・ヴァーホーヴェン。傑作を撮れる監督なのに、どうしてこんな微妙な作品に仕上げたのかが謎だ。『ロボコップ』を知っている人は、男女が入り乱れるシャワーシーンやグロさをあまり隠さない演出(死体描写 etc.)、頭の悪い(ように見せかけている)ニュース映像に類似点を見出せるだろう。ちなみに『2』もつくられたが監督は別なのであしからず。『2』は観ていない。
まずは SF 者には「ああノミネートされたのね」的な話題から。asahi.com 経由。元々文學界新人賞を受賞するぐらいには完成度が高い作品のようだ。まだ未読なので何ともいえないが。今度書店で『文學界』の6月号売ってたら買ってみる。『Self-Reference ENGINE』よりは完成度低いとかいう意見もあるようだが、はてさてどんな代物か。まあスタイルというか雰囲気はそう大きくは変わらないだろう。マクロすぎて視点をミクロにしないとおっつかない世界をわざと構築し、その中で人間という要素をコロコロと転がす感覚。その感触は以前も述べたがクラゲがごとく。
また、これもまた知る人ぞ知る森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店)が直木賞の候補になっている。こっちもまだ未読なんだがね……。ううむ。読む気としてはあまりないかも。ま、おいおい考えるさ。
そして今日は何たるハッピーデイか。仕事を早く終えたのでちょいと秋葉原まで出向いて、何となくヨドバシカメラのゲーム売場へ。もし DS Lite があったらいいなーというぐらいのノリだったのに。のに。
本当に売ってるんだもの。しかも大量に。
サンキュー海サイッコー号! みたいな気分でありました。いや、もう嬉しくて。早速整理券をいただいて並びましたよ。ほとんど人いなかったけど。……あまり告知してなかった突発的イベントだったのだろうか? 前には10人も並んでいなかった。ちなみに整理券はまだ係員の手に山のようにあった。素晴らしいね。こういう日がくるとはね。
そして DS Lite のジェットブラックを購入。うむ。もう言う事はない。
さて、本体もないのに Amazon に予約しておいて買っておいたゲームでもやるとしますか。なんかこの光景、Wii のときにも見た気がするなぁ。
商業誌の体裁を借りた同人誌なんじゃねーかと思わせるぐらいに濃く、厚く、密度ある雑誌。何しろまだ 1/5 ぐらいしか読めてない。一日の読書時間全部使ったのに。仕方ないので明日も明後日も明々後日も読みますよ。うふふ。久しぶりにガツンとリキのある代物が読めて幸せだったりする。相変わらず大塚氏の文章は句点の位置が微妙で読み難いのだが……まあ読めないよりはいいか。
ちなみに吾妻先生の『地を這う魚 第4話』も載ってます。ぶっちゃけこれ狙いで買うのも全然アリ。だがこの作品を取り囲むような文字の海は、確かに溺れてみるにはうますぎる集合具合だ。
しばらくはこいつに沈溺してみよう。ぶくぶくぶく。
まずは、Thunderbird と Sylpheed には各フォルダごとに新規作成時のテンプレートが指定する機能がないこと。これはかなり辛い。特に大量のメールを処理しなければならない場合は。メーリングリストが大量にあったりすると尚大変になる。拡張機能で提供されてないか調べてみたが、どうにも駄目だった。
そういえば意外なのだが、Thunderbird のメール振り分け(フィルタ)は正規表現に対応していないようなのだ。まさかの盲点。何気に Becky! は対応している(但し機能的にはとても貧弱)。一番まともな実装なのは Sylpheed だったりする。これも拡張でどうにかならんのかなぁ。捜してもなかったし。
試しに Sylpheed に移行してみようかしらん。
久々に再読。破天荒としかいいようのない人生が淡々とした語り口で示される。人形作家として知られる以前に役者であった頃の話(4章、5章)はかなり強烈。当時のサブカルチャーが持っていた熱気が感じられる。
読み物がなくなったこともあって、『新現実 Vol.4』(太田出版)を購入。中身はどえらく密度の濃い代物なので、じっくりと読むことができそうだ。昼休みの供がまたひとつ。
いつものように……。リリースノートにもあるが、どうやら Cookie まわりの挙動が改善されたのだとか。これは Bug 385804 - perf test for mozStorage にあるように、単に SQLite のバージョンを上げたらレスポンスタイムが改善したという話のようだ。副産物といえる? 他にもサイト毎のテキストサイズ保存やらなにやらが新規追加。
さて。これからインストールしてじっくりいじってやろう。勿論 Alpha なので人柱覚悟の上で。それが Gran Paradiso とのお約束。常用しようがしまいが勝手だが、自己責任であることに変わりはないし、推奨も奨励もされず、その逆である。
積読がめでたくはけたので読むものがなくなり、再読。やはりこの話は笑いのバランスがとてもよろしい。すっとぼけたお気楽コンビに超絶能天気が加わり、はっきり言って最強の集団に。それが最終的には謎に近づき解を得るのだからなかなかどうしてたいしたものだ。
杯は灰に、ハイな胚は廃されることもなく。何だか無性にウイスキーが呑みたくなったな。今日は久しぶりに一杯やるか。
その特異な入力に特徴があるかな漢字変換エンジンである SKK を使ってこの日記を書いてみている。変換動作にいつもはエンターキーを押下しているので、慣れるまでに結構入力ミスも多発する(特に入力確定後の状態)。現に、ここまで書き進めるのもひと苦労だ。段々と自分の指を慣れさせながらゆっくりとタイプしている。しかし、そこそこ使いこなせるようになればかなりいい具合になるのではないかとも思う。元々は Emacs 用に作成された代物なので、そのまま Emacs でも使い続けていけるのが強みか。送り仮名を大文字入力しなければならなかったり、変換を行わせるだけで大文字入力が必要だったりと「成る程ね」と思わされる場面もちらほら。自分の脳味噌で送り仮名を考えてやらねばならないのがちと瞬発力のいるところか。
しかしこれ、今ようやく少しずつ慣れてきたのだが、シームレスに入力ができるのはすっごく快感かも。全角括弧の入力が面倒というのは、おそらく辞書でどうにかできるだろう。また今度やってみる。
あ、これヤバいかも。クセになりそう。それにしても三点リーダはどうやって入力したらいいんだ。スラッシュは特殊なキーバインドになってるし。コード漁れば出てくるかしらん。と思って grep かけたら出てきた。
(setq skk-use-jisx0201-input-method t)
setq
を setf
にして早速試してみよう。どれどれ、ってうまくいってないな。まあ気長にやるさ。
もう時間もないし書くにもひと苦労なので短めに。まあとにかく論理と妄想の間にこそミステリは潜んでいると思わせてくれる作品。あ、もう時間が。続きはなし。でも面白かった。